寄席ブームというが本当?

上方落語が江戸に乗り出し、常打ちする意気込みだという。このところ寄席に若い女性が群がる。落語マニアの女子学生がいるくらいだ。だけど、やれ寄席ブームだ、落語人気の復活だなどと一概にはいえない。どだい、このマニアという奴が曲者だ。マニアは異端であって大衆性とは無縁だ。
無縁といえば、このあいだ無縁寺回向院の御門をのぞいた。近くの高層ビル1階に新装された小劇場「シアターX」に芝居を観にいったついでだ。20数年前にもなろうか、小雪ちらつく年の瀬の日曜、職場で『忠臣蔵ツアー』を企画しバスをチャーター。江戸城松の廊下を振り出しに、高輪泉岳寺、芝増上寺から川向うの本所に向かった。
旧吉良邸を車窓からのぞいて、回向院へ入ったというわけだ。「鼠小次郎吉の墓」「関東大震災供養塔」が印象深かった回向院だが、≪歴史の中で庶民と共に歩んできたお寺≫にしては、鉄筋コンクリートでモダンすぎる。ご門も立派過ぎてお参りするのをためらってしまう。落語にも鼠小僧のお墓を取り上げた『猫定』という古典モノがあるが、いまのハイカラ回向院にはどうもなじまない。
そう言えば、もう35年以上前になるが、女房と長女を連れて、東宝名人会にいったことがある。場所は、東京宝塚劇場の5階にあった東宝演芸場だ。長女は当時オムツが取れていない。そんな乳飲み子連れの寄席通い、いま想えば無茶な親がいたもんだ。案の定、二つ目さんの噺の途中、乳飲み子が泣き出した。慌てて、廊下に出て、ソファーに腰かけ女房がオムツを取り替えミルクを飲ませる始末だ。そこへ、当夜、トリをつとめる古今亭今輔が通りかかって僕たちにひと言『助かります』。
70年代、寄席は空席が目立った。時代を象徴するこの言葉、上州訛りが消えず、新作落語に走った今輔の芸風は好みではないものの、腰が低く情のあるひと言だった。
当時、志ん生もぼやいてる『六十軒あった寄席が、いま何軒です? 四軒? 五軒? まァ多かないが、それでもやってるんだから、ええ、これよかもう減りようがないんですから』
こんにち落語ブームといったって、志ん生がいうとおり常打ちの小屋や演芸場は都内でせいぜい五、六軒だろう。志ん朝も惜しまれて逝ってしまった。五代目小さんももういない。談志や小朝などが奮闘しているが、古典モノをじっくり聴かせてくれる中堅・若手噺家にあまり出会わない。落語人気の復活というが、噺家と聴き手の質が問題だ。

古今亭志ん生 (KAWADE夢ムック)

古今亭志ん生 (KAWADE夢ムック)