リーダーたちの人間力と言葉(英語)力

かねてよりの持論だが、企業・自治体はもとより学校の場合も、リーダーたるもの、多少はbilingual(自国語以外の国語を使える)な人材が不可欠だろう。いずれ日本もmulti-cultural society(多文化社会)に向かうのは避けられないからだ。他国語とは英語のことだ。
140年前、「開国すべし」と明言した御代様篤姫の先見性には遠く及ばないが、日本も多文化社会の到来を予測すべきだ。政界も、特にPremierなど並み居るministerには英語の苦手な人物は登用すべきでない。問題は国際会議だ。例えばASEANは67年創設以来、会議での使用語は英語で統一している。域内において、英語を解し、英語を使える人材の開発が進んでいる。それが、英語教育の高まりにつながり、bilingualの人口増はその国の経済発展を後押しする力となっている。
国によっては、英語の使用が進みすぎるなかで母国語の体系が壊され、英語で高等教育を受けた一部のエリート層が国を支配するという弊害が生まれている。フィリピンがそうだが、こうした状況は我が国には当てはまらない。
G8洞爺湖サミットの風景はどうだったか。公式会議や共同声明や記者会見などではbilingualの通訳付きだったので我が国首相も無難に務めることができたようだ。特に今回は議長国なので周囲が気遣いしてくれた。
ところが、homogeneous(同質)社会に浸かりきっている我が国首相にとって、ノーネクタイの会食や歓談の場になるとつらい。語りかけてくれる相手が俄かに少なくなる。Premier Fukudaは中央に位置しながら、蚊帳の外に置かれているようで淋しそうだった。会議や協議や懇談、座談の場では言葉力だけではなく、人間力(人間としての魅力)が当然欠かせない。まずは気さくさだろうが、その上で、英語で自分の考えを伝えられる言葉力が必要となろう。