子供は勝手に育つというが・・

数ヶ月前まで、人に子供の教育についてとかく講釈する立場にあったボクだが、ずいぶん昔のことのように思われる。
自分の子供の教育のことを訊かれるとまるで語れない。幼児期や小学校の頃は、子供たちと時間を共にした記憶も少なくない。その風景が写真にも残っているが、10代後半からの子供たちの進み行きはとなると、もっぱら家内任せだったようだ。あるいは、無責任な言い方だが、子供たちが勝手に育っていったと云う方が正しいかもしれない。
どこかで引用したことがあるが、The Washignton Post紙の前社主キャサリン・グラハム女史に父ユージン・マイヤーが手紙を遣し、その中で親の子供に対する役割について触れている。
『親が手助けをするために時々できることといえば、行動のしっかりした原則を示すことです。きつすぎる忠告をしたら、君の助けになるとは思いません・・・』---Katharine Graham:Personal History「わが人生」(訳:小野善邦)より---
子供に“しっかりした行動原則”を示してきたかと問われれば、内心忸怩たるものがあるが、子供たちはの方はそれなりの行動原則をもって親離れでの方向である。悲しいかな、親のボクの方が子離れしていないようだ。
この間も、久々に我が家に顔を見せた孫たちに本を買ってやることになった。「雑誌やマンガはダメだぞ」と釘をさして街の本屋さんに入った。小三の孫娘が今流行のライトノベルまがいの小説を手に取った。かなりの漢字混じりだ。釘を刺しすぎたのか、心配になって訊いた。
「こんな漢字読めるの?」
「わかんなきゃ調べる」孫の答えは明快だ。
一緒に本屋に入っていた親たち、娘夫婦は「自分の好きにしな」だ。この親たちの方が親らしい。孫離れもしていない自分に苦笑した。