22の春を泣かせるな・・・

LibyaではQaddafiによる多くの反体制派国民に対する無差別massacre(虐殺)が本格化している。狂気の権力亡者、Qaddafiが本性を暴露。国際社会は今なお手をこまねいていていいのか。その残虐性はHitler以上だ。性格は内戦ではない。21世紀版ホロコーストの様相を呈している。


日本ではメジャー大学の入試が揺らいでいる。ネット利用の新手の不正行為防戦一方だ。真面目な受験生は「やってられねー」。

「入学願書を出すのが梅で、試験が沈丁花で、卒業式が辛夷で、入学が桜だという」(幸田文:雀の手帖)
首都圏では高校卒業式のシーズン到来である。昨日は真冬の寒さだった。今日は2月半ばの陽気だ。それでも三寒四温を経ながら春の気配が漂いつつある。
ボクの関係している高校で今日卒業式が行なわれた。18歳の若者が新たなステージに立つことになる。新たな舞台に装置が整っていない。彼らがまず手をつけるべきは大道具、小道具づくりだ。照明道具もない。観客はゼロだ。
その覚悟をもって未来という舞台を創りあげなければ、幕は開かない。

彼らの掌には羨ましくなるほどの未来が乗っかっている。でも、その未来は得体の知れないモノだ。掴み取らなければ逃げてしまう。Win the futureだ。
昭和から平成に変わった年に生まれた22歳の大卒生が煩悶している。「卒業クライシス」--祝福すべき大学卒業生が危機的状況に直面している。働きたくても仕事がない。政治も悪い。社会が悪い。企業もヒドイ。


なるほどそうかも知れない。でも、フト自分のいまの立ち位置を見つめてみよう。本当の学びを経験してきたのか。「人は人生の前半で学ばなければならいない」と云う。修業していないのではないか。狭い世界に閉じこもったり、気の合う者同士で和みあい、徘徊しあっていたのではないか。学ぶことから働くことにいかにつなげてゆくか。“人は自分以外のもののために働いているとき、そしてそこに自分がいなければ困ると感じたとき、最大限の力を発揮する”--この原理原則をいま一度想起しなければならない。

日本の若者は“Turn inward”(内向き)だとアジアの大国や新興国の若者達は冷笑しいるかもしれない。Look ahead(前を向こう)、Look outward(外界に眼を注ごう)

『明日がわからないからといって、時代が良くないからといって愚痴をこぼしたり、内向きになったりすることなく、良くない現実を正面からみすえ押し返す勇気をも持とうじゃないか』
夢などと言う言葉はボクはあてにしない。希望を大志にかえてほしい。このように18歳で旅立つ卒業生にボクは呼びかけた。22の春を泣かせないためにも・・。