名匠の新作はもう出ない

藤沢周平さんが鬼籍に入って早や17年になる。時代モノ作家として知られてはいたが、ロングセラーを連発する人気作家だったというわけではない。

1973年(昭和48年)46歳で直木賞を受賞。結核で長い療養生活のあと業界紙での仕事を経ての遅咲きである。受賞作となった『暗殺の年輪』だが同年3月「オール読物」初出後、文庫モノとして第1刷が出版されたのが5年後の78年。19年後の97年、周平さんが他界された年の2月20日第28刷という按配で、増刷の歩みは遅々としたものだった。

ボク自身、時代モノ作家藤沢周平さんの存在は早くから知っていたが、その作品にのめりこんだのは同氏が亡くなってからである。
記憶によれば、初めて手にとって読んだのは長編モノ『密謀』(上下巻)。その後手当たり次第に買いまくり読みまくった。
なぜ周平モノを耽読したのか。文章が小気味いい。品位があり粋で洒落ていてしかも着実である。正直に言うと、通勤の行き帰り車中で読むのに気が引けたほどだ。こんな名文を電車の中で読むのは失礼で勿体ない気がしたものだ。
周平さんと同郷の作家に丸谷才一さんがいる。千日谷会堂での告別式(97年1月30日)における丸谷さんの名弔辞は有名だ。その一部をお借りする----。

「明治大正昭和三代の時代小説を通じて、並ぶ者のない文章の名手は藤沢周平でした」「あなたは比類のない勉強家で、しかも苦心のあとを気づかせない名匠でありました」「あなたの新作小説が出ることは、政変よりも株の暴騰や暴落よりもずっと大きな事件でした。なぜなら、藤沢周平の本は実に確実に、新しい一世界を差出し、優しくて共に生きるに足る仲間と、しぱらくのあひだつきあはせてくれたからです」
この丸谷氏が『本の世界 知の楽しみ』と題し読書について語っている。大江さん、筒井さんとの3作家の鼎談(1/30日A紙)のなかの一節が見逃せない--

「本を読みすぎるのはよくないね。国語学者大野晋さんは大読書家なのに、『考えるぶんだけ頭を空けておかなければならない。だからほどほどにしか読んではいけない』と言っていた。今日はヒマだから本を読もう、ではなく、ヒマだから考えようとするように努めていますが、考えるのにくたびれてつい読んじゃう」(笑)
大江さんが「大野さんの『ほどほど』はものすごい水準でしょう」と応じているが、大野さんはもとよりこの三氏はともに驚くべき読書家だ。“考えるのにくだびれつい読んじゃう”という丸谷さんが、この鼎談を次のように結んでいる--
「本というのは、おのずから他の本を読ませる力があるものなんです。ある本が孤立しているのではなく、本の世界の中にあるのだから、感動すればするほど自然に、他の本に手が出る仕組になっている」

大江さんが「その言葉はそっくり削らずに、新聞に載せてほしいですね」と合点しているとおり、銘記すべき丸谷さんの名コメントだ。
ボクなど甚だしく読書不足な者にとっては、こうした名言との出会いを待ちこがれている。

次々と名文の作品を紡ぎ出してくれた名匠の周平さん。そちらの世界から新作を送って頂けないものか・・・。