土饅頭の墓−サムライは敗残か?

黒澤明 再考「『七人の侍』と現代」(四方田犬彦岩波新書)が届いたので拾い読み。

私見だが黒澤作品の時代モノの真髄は「椿三十郎」(1962年)までか、せいぜい65年制作の「赤ひげ」までだと思う。
その後の“大作”についてはクロサワも煩悶していたはずた。
羅生門」(1950年)が51年Venice Film Festivalでグラプリを受賞し話題になったが、世界映画界への影響力といえばやはり「七人の侍」(54年)が一番だろう。何度見てもその凄さに驚嘆する。半世紀以上を経て現代にも通じる作品はそうざらにない。後世、映画の古典として位置づけられるに違いない。
七人の侍”のうち四人が討ち死にした。温和なお人好し風情の平八(千秋実)が野武士の火縄銃に撃たれて斃れた。

頭領の勘兵衛(志村喬)の参謀、五郎兵衛(稲葉義男)も撃たれて逝った。

壮絶なのは凄腕の剣客、九蔵(宮口精二)と生まれが百姓の菊千代(三船敏郎)の最期だ。九蔵は突然騙し撃ちされながらも刀を投げて野武士の背中を刺す。九蔵が倒れ、なかば狂乱し、土砂降りと泥土のなかを大刀を振り廻す菊千代だが、あえなく撃たれ、倒れながらも、相手を刺し殺し絶命する。



最期のシーン。略奪、陵辱の限りを尽くした野武士の集団が敗走し、百姓たちの歓声が聞こえてくる。田植えの季節だ。

明るい陽光のなか幾つもの土饅頭が並んでいる。生き残ったのは勘兵衛、七郎次(加東大介)、勝四郎(木村功)の三人だ。

『菊千代の墓にも刀を立ててやれ・・・あの男も立派な侍だ』
勘兵衛の言葉にはっとして、勝四郎が自分の刀を抜いて菊千代の土饅頭の上に刺す。
勘兵衛の最後の台詞が胸に迫る。『この戦・・・やはり負戦だったなあ』『いや・・・勝ったのは・・・あの百姓たちだ・・・ワシらではない』『侍はな・・・この風のように、この大地の上を吹き捲って通り抜ける過ぎるだけだ・・・土は・・・何時までも残る・・・あの百姓達も土と一緒に何時までも生きる・・・』

昨日、今日と御殿場に10人ほどで出かけた。富士が見事に真っ白な帽子を被っていた。裾野に広がる自然は何時までも残るだろう。人間のちっぽけさを感じる。