旅−本を読む者、句を詠む人

白雪が眩しい富士を前に、初冬を感じさせない温暖な御殿場の旅だった。

ボクの古希と40数年前高校を卒業生した付き合い永き者たちの還暦を祝い10名が集まった。“生涯現役”の舞台女優が一人、そのほかは第一線の企業戦士を退いたばかりの者。いまも仕事が欲しいが不況でお手上げの大工職人もいる。個性派集団だ。でも、30代後半の若さで早世したデザイナー、50代で逝ってしまった役者、そして実直な公務員。三人の旧友はもういない。健在ならば喜んで参加したことだろう。
夜二次会を前に皆直立して黙祷した。鬼籍に入った仲間の面影を偲んだ。
参加者の一人のE君、若い頃から毎日マラソンにのめり込み、今も“長距離ランナーの孤独”を味わう一方、最近、某句会に入って発句に余念がないという。同人俳句誌を見せてくれた。勉強家だ。酔魚などという洒落た雅号をつけ、悦に入っている。
奇しくもボクは目下子規にいささか凝っている。おかげ彼と俳句談義に一時を楽しんだ。子規は病床の短い生涯で数万の句を詠んだ。E君に言わせれば、「詠んだ句数の多い俳人はそれだけ優れている」ということになる。
ボクはいま長谷川櫂著「子規の宇宙」を読んでいる。息を引き取る寸前に句を詠んだ。糸瓜を織り込んだ三句が有名だが、昏睡に陥る前日に詠んだ五・七・五・七・七が凄い。
 俳病の夢みるならんほとゝきす拷問などに誰がかけたか
存命中に活字になった最後の句ならぬ短歌である。

「歌の俳病は肺病、ほととぎすは子規のこと。子規とはホトトギスの意であった。『誰がかけたか』はホトトギスの鳴き声テッペンカケタカにかける」(長谷川櫂)という。
最近とみに遅読になったが、鞄から書物を手放せない。

“本を読む爺さんをいまの子供(小学生の孫娘)はどう見るか。黙って本にくいついている爺さん。格別おもしろそうでもないのにときどきページを繰る、それだけでじっとしている爺さん。話しかけても対手になってくれず、返辞さえもしてくれない爺さん。私はそういう爺さんを、つまらない爺さん、好きでない爺さんと思ったがいまの子供(孫娘)はどう感じるだろう”

爺さんを幸田露伴に置き換え、子供を娘の幸田文女史に置き換えると理解できる。幸田文さん、1956年6月新潮社版、随筆「ちぎれ雲」に所収の<ほん>の冒頭部である。
早や師走。クリスマス近し?を告げる新丸ビルのイルミネーション。「街の灯」ならぬビルの谷間の灯だ。