林檎の蜜

師走になると例年、信州、佐久に在住の教え子N君と都内の知友から林檎が贈られて来る。恐縮しながら包みを解いてみるとその大きさにビックリする。個数もたくさんなので、たいがい嫁いでいる娘たちの家やお隣にも御裾分けする。
蜜がたっぷりで甘い。有難く、食べるのももったいない気がするほどだ。

さてこの蜜で思い出した。
一昨日、我が街の定期健診の結果を医師から聞いた。自分でも気になっていたのが採血検査の結果だ。最近の肥満気味が、血液検査の数値にも影響しているに違いない。予感は当たった。中性脂肪と悪玉コレステロールの数値が少し高い。所見は要観察だ。
「原因はなんでしょう?」
「炭水化物、なかでも甘いもの・・」医師のコメントだ。
「蜂蜜が好きでして・・」

「ちょっとお休みしましょう」とあっさりやられてしまった。
NZへ出かけるとManuka honeyをどっさり買ってくる。honey党を自認している。

朝、トーストに蜂蜜を塗り、ヨーグルトにも蜂蜜をたっぷり混ぜる。これがいけないらしい。そのうえ、飴玉が好きとくれば何をかいわんやだ。

そんなわけで、昨日から蜂蜜を絶った。口が寂しいが飴玉も止した。
すると、林檎の蜜もよくないのか? いつの頃だったか、看護師さんが「果物もたくさん食べるとよくないですよ」と云われたことがある。
大きな信州林檎もほどほどにすべきなのだろう。
現在、日本で栽培されている林檎はすべて西洋系の林檎だ。幕末に初めて我が国にもたらされたと云われる。
この林檎に対する正岡子規の賞味観察が面白い。
子規は「一個の果物のうちで処によりて味に違ひがある」という。
“一般にいふと心(しん)の方より皮に近い方が甘くて、尖の方よりは本の方即軸の方が甘味が多い。其の著しい例は林檎である。林檎は心まで食ふ事が出来るけれど、心は殆ど甘味がない。皮に近い部分が最も旨いのであるが、これを食ふ時に皮を少し厚くむいて置いて、其の皮の裏を吸うのも旨いものである”

ホトトギス』に掲載された『くだもの』という文の一節だ。
   林檎くふて又物写す夜半哉
「子規は秋の夜、林檎を食べて枕辺の何やらを写生帖に描いている。子規の食べた林檎は、明治年間に広まり、酸っぱ味があるものの鮮やかな赤い色の紅玉だったろうか。」(長谷川櫂:【子規の宇宙】より)