鮒鮓は前菜?--鯉のあめ煮は・・

昨日久方ぶりに西下した。亡父母と亡祖母の回忌。法事である。日露戦争に従軍した亡祖父は終戦後間もなく他界した。還暦を迎えて数年になる弟妹も祖父のことは知らない。ボクの小1の六月に逝った。
風もなく温暖なまるで晩秋を思わせる小春日和の日曜日だった。
墓参前に、中仙道沿いの老舗、竹平楼で昼食と相成った。

創業が宝暦8年(1759年)にさかのぼる、250年の歴史を有する有形文化財に登録されている日本料理旅館である。

明治11年、まだ屋号は「竹の子屋」、当主が三代目の平八だった年、明治天皇が民情視察のため北陸東山道巡幸の折り、立ち寄ったという。侍従長岩倉具視大隈重信井上馨山岡鉄舟がお供、なんとも豪勢なメンバーだ。当楼の入り口の右に明治天皇御座所の碑が立っている。

豪勢と云えばランチのメニュだ。前菜に鮒鮨が3切れ出た。ほのかな腐臭。変わり果てた小鮒の切り身に粥状の米粒がへばりついている。下に乗せると上等なチーズのような風味があるが、食べるどころ見るのも嫌がる人も少なくない。
珍味の1つだ。乳酸菌の発酵を利用して作られた馴れ鮓だ。

起源を辿ると、はるか昔、東南アジアの山岳地帯の人々が作りはじめたと伝えられる。この古代式の馴れ鮓は腐り鮓とも呼ばれたことがある。見た目の悪さに原因があるのかも知れない。
『病床六尺』の正岡子規も腐り鮓(鮒鮨)を食べている。
  鮒鮓に考槃亭を仮の宿

子規は学生の頃、琵琶湖の夏の大津に遊んだことがある。考槃亭はそのとき滞在した三井寺前の宿である。まだここには病に蝕まれることなく野望を抱く若き子規の姿がある。
話しを竹平楼での昼食に戻す。前菜、鮒鮓に合わせて、≪鯉のあめ煮≫が出された。

“代々受け継がれた秘伝のタレでじっくり時間をかけて煮込んだ逸品”だとある。鯉こくも美味だが今度の“あめ煮”には驚嘆した。珍味の鮒鮓と妙味の“あめ煮”。同時にお膳に乗せられると贅沢すぎる。どちらからつついていいものやら。鮒と鯉の勝負か・・?