噺家の言葉を盗む

今年6月、落語協会会長に柳家小三治さんが就任した。業界第一人者で名人、噺は正統派、これ以上の人事はなかろう。

その小三治会長のもと初の真打襲名披露が先月初め行なわれ、5名の真打誕生と相成った。
小三治さんの表情は終始穏やかだ。披露パーティで「最初は何とかなるのかなと思う人がほとんどだったが、真打たちの声を聞いた途端、話しか方も歩き方も違ってくる。胸を張って送り出す」と若い噺家たちを慈しむように紹介したという。

自身29歳で真打に昇進し、10代目柳家小三治を襲名。「ま・く・ら」をはじめ“名著”も多いが、10年前の2001年初版の「落語家論」を先日手に入れていま読んでいる。そのなかの『紅顔の噺家諸君!』が面白い。ご当人は「この世界に足を踏み入れて日の浅い、若い噺家に読んでもらいたいと思って書きました」と仰るが、噺家志願じゃない凡人が読んでもためになる。

小三治師匠は(今もそうだが?)無愛想で通っていた。志ん朝さんの芸、立ち居振る舞いに、『志ん朝さんは生まれながらの噺家だなァとつくづく思う』と感心しきり。「噺家になるための努力はやめました。努力しても無駄だョ」などと開き直ったものの本音は違う。無愛想が何でいけないんだと反逆精神旺盛だった。

『いいじゃねェか人付き合いが不得手だって。ヨイショが下手でなぜ悪い』と威勢がいい。
噺家になるために小三治さんが最初にしたことは“いかにして笑うかだった”らしい。『噺を演る上での笑いではない。“普段いかにして笑うか”なんである』という。師匠(小さん)のおカミさんに、「お前はどうして笑わないの?」とことある度に言われた。

小三治さんに言わせれば「笑わないことがまるで極悪非道であるといった調子なのである。いやそう聞こえるのだ。物心ついた頃から、小学校の校長までやった父と武家の娘だった母の両方から、『むやみに笑うな! 男は人前で歯を見せてはいけない!』と仕込まれた。それが噺家になった途端に、『どうして笑わないの?』。そう言われることは、自分の過去を全部嘲笑されているようで恥ずかった」。師匠35歳のときの述懐である。

21年〜22年前に、若い噺家志望者に次のような教訓を述べている−−
「芸は盗むものだという。私もそう思う。教わった芸は大切なものだし、無くてはならない宝物だ。しかし、誤解を恐れずに言えば、実は教わった芸なんざクソの役にも立たないといってもいい。ホントに役に立つのは、盗んだ芸である。教わった芸だけで満足している奴は、その程度の奴である。それほど、ひとから芸を盗むというのは素晴らしい、価値のあることである。
だが、である。その盗み方にも自ずとルールがある。それが無ければこの世界は成り立たない」
“盗み方にもルールがある”−−噺家以外の世界にも通じる含蓄ある言葉だ。
小三治さんと云えばなんといっても『まくら』の妙味だ。俳句仲間で齢がひとまわり上の小沢昭一さんが「(小三治さんの)文体が小気味いい。・・(モノによっては)『まくら』どころか、一席の人情噺の味わいで楽しさ横溢です」と絶賛している。

句会での小三治さんの俳号は『土沙』だ。小沢さん推薦の“土沙”の名句を披露しておこう。
 ひと息に葱ひんむいたる白さかな
 片耳でマスクぶら下げ寄席の客
情景がくっくり眼に浮かぶ17文字だ。