誠実なフイルム−手造りの映画作法

黒澤明が他界して12年になる。今年が生誕100年である。
私見だが、クロサワ映画は1965年公開の『赤ひげ』で1つの大きな節目を迎えた。黒澤55歳のときの作品である。その4年後の69年、20世紀Foxとの合作映画『トラ トラ トラ』大作のメガホンを任されたクロサワは撮影開始間もなく、解任される。精神的疾患による辞任だとFox社側は発表。黒澤にとって最大の挫折、日本映画界最大の“悲劇”であり、解任の真相は今なお謎のままである。


天皇クロサワの最後の作品は93年公開の『まあだだよ』。内田百輭と教え子たちとの交流の話である。98年に他界した淀川長治氏が亡くなる二ヶ月前、人気沸騰のお笑いコンビとの対談のなかで「黒澤さんがいいのは、人間が描かれているからだ」とこの『まあだだよ』を次のように論評している−−

「おじいちゃんが♪出た出た月が〜と歌ったりするところ、幼稚だと思う人があるかもわからないけど、あの感情の出し方は立派ね・・・」「あの映画で所ジョージと井川比佐志の2人が、先生の家を探しにいくところがあったの。道がちょっと坂になっていて、上から2人が降りてくるんだけど、『あれ、ちょっと上からだからいいね。平面のとこ歩いてたらそんな気がしないけど、ちょっと坂になっているから、ここに先生の家があったんだという感情が、とってもよく出てる』。そう言ったら、(黒澤さんが)『おお、淀川そう思ってくれたか』と言ったのね。あれはわざわざ坂を作ったんだって。一週間かけてペタペタぺタ。そんなふうに、監督というのは常にデリケートなものなの」
淀川さんは映画づくりを志す者に“チャップリンの深さを学びなさい”と説く。“チャップリンは映画のシェークスピア”だと言い、『ライムライト』の撮影場面を見学した際のチャップリンの台詞を紹介する−−「ときというのは偉大な作家だよ。しかも・・・いつも間違いのない終結を書き上げるじゃないか」
“間違いのない終結”。ラストシーンが監督の勝負どころだ。あの『街の灯』のラストで、目が見えるようになった花売り娘が、チャップリンの姿を見る。あの時の、あの子の表情に残酷だけど感動された観客は少なくなかろう。淀川さん曰く「助けてくれたのは、富豪の息子のはずだった。それなのに、実はこれだったのか。その喜びと悲しみを一瞬のうちに見せた顔。あれは映画史上有名なラストシーンだけど、“Can you see?”“Yes, I can.”、それだけのやりとりの中に『ああ、この人だったのか』という感慨が詰まっている」

日本には真の喜劇映画はあまり存在しない。最近TVが笑い、スクリーンが笑うモノが多いが、肝腎の観客はというとシラケ気味だ。


今夏、戦争ドキュメンタリーが盛んにTVで取り上げられた。が、どれも画一的だ。生誕100年を迎えた山本薩夫監督の“戦争体験を力に変えた”『真空地帯』、農民の10円カンパで製作した『荷車の歌』など社会監督の名作は何度も観たくなる。因みにこの山本監督もチャップリンに感化された。同監督の作品にエンターテインメントが盛り込まれているのはその影響か・・。



間もなく生誕100年になる新藤兼人監督が自ら最後の作品と称する“反戦モノ”『一枚のはがき』をクランク・アップした。来年封切される。新藤兼人はこの作品で「原罪と向き合い、死者と対話した」「過去から未来へ、戦争の真実を伝える責任を果たそうとした」


新藤監督は「戦争よる人の死は一家を破滅させる」「今度の作品は二等兵という一番下の部分から見た戦争の悲惨さを描いたものだ」

同監督の演出は手造りで丁寧そのものだ。ベテラン俳優に対する誠実な親身に満ちた演技指導とその作法には頭が下がる。

今夏観たベトナム戦争の長編記録映画“Hearts and Minds”は反戦映画と呼ぶべきだろう。この映画は、「ベトナム戦争勝利」を叫ぶ大勢のデモと反戦デモの衝突、「戦争ってどんなものか知ってるのか!」とカメラに向かって語る反戦復員兵の姿で終わる。

「これは自国の侵略戦争を告発する視点でつらぬきつつ、その侵略を許した痛切な国民的自省に裏打ちされた誠実なフィルムである。私はそこにアメリカ民主主義の伝統が、アメリカ国民のなかに、アメリカ映画人のなかに生きつづけているのを見た」(1975:山田和夫『映像文化とその周辺』より)

いま、米国はアメリカ民主主義の伝統が揺らいでいる。