65年前、9/1は雨、9/2は曇だった

今夏のTV特番に終戦65年特集が目まぐるしく登場した。
戦争の悲惨さ残虐さを戦争を知らない世代に語り継いでゆくための意義はあったと思う。
8/15は第二次大戦の終結日ではない。日本が一度“黙殺”した「ポツダム宣言」を受諾した日であり、真のCease Fireは9/2である。


明治25年9月1日、正岡子規が「君が代二百十日は荒れにけり」と17文字をさらりと詠んだ。時事川柳である。“君が代は”とは≪新聞日本≫であり、発刊停止を命じられたのが210日ころの時期だった。これが俳句時事評の草分けとなったといわれる。



同じ9月1日でも、1945年のこの日の山田風太郎「戦中派不戦日記」のなかでの語りが興味深い。猛暑に辟易の本日と違って65年前の今日は雨だった−−

「新聞がそろそろ軍閥を叩きはじめた。『公然たる闇の巨魁』といい『権力を以て専制を行い、軍刀を以て言論を窒息せしめた』といい『陛下を盾として神がかりの信念を強要した』という。そして。−−−
『われわれは言論人はこの威圧に盲従していたことを恥じる。過去の十年は、日本言論史上未曾有の恥辱時代であった』などと、ぬけぬけと言う。・・・・
 この新聞論調は、やがてみな日本人の戦争観、世界観を一変してしまうでろう。今まで神がかり的信念を抱いていたものほど、心情的に素質があるわけだから、この新しい波にまた溺れて夢中になるであろう。−−敵を悪夢と思い、血みどろにこれを殺すことに狂奔していた同じ人間が、1年もたたぬうちに、自分を世界の罪人と思い、平和とか文化とかを盲信しはじめるであろう!
 人間の思想などというものは、何という根拠薄弱な、馬鹿々々しいものであろう。もっとも新聞人だって、こういうことは承知の上で、いまの運命を生きのびてゆくためにこういうことをぬけぬけと書き出したのであろう。そして国民はそれに溺れる。
 それでよいのである。それが日本を救う1つの道なのである。しかし過去に於いて完全に溺れなかった自分である。将来に於いても決して溺れ尽くすことはあるまい。
 しかし、このことは渦中にあっては、案外難しいことである」
思想(idea)は柔軟でflexible、信念(belief)は一貫(迎合主義やご都合主義・日和見はダメ)。かくあるべしと考えるが如何だろう?

Secretary General辞任後三ヶ月足らずで、今度はPM candidateに名乗り出るO氏は一体何者だ?