タカ派で愚か者のひと言を反撃するには・・

President ObamaがIraqiとAfghanistanへの対応に苦慮している。アフガンへの増派によるタリバン掃討作戦に目下出口が見られない。War Against IraqiはBush's Warと批難されたが、今度は対Afghan戦争は「Obama's War」と揶揄され、Obama支持率低落の一要因となっている。
Obama氏はIraqiからの米軍撤退計画を改めて明確にしたがイラク国内でのテロや内乱は一向に下火にならない。
何時鎮火するのか、先の見えないこの二つの火山は、Bush政権が2001/09/11のterror attackを受けてわずか4日後に攻撃の標的をSaddam Husseinに置いたところに端を発する。

その方向を決定付けたのは、知る人ぞ知るネオコン、Paul Wolfowitz(ウォルフォウィッツ国防副長官)のひと言「アフガン攻撃は見通しが明るくない。一方、イラクは、つぶせるかも知れない」だ。Bob Woodward氏(米The Washington Post紙現編集主幹)が著書「ブッシュの戦争」のなかで指摘している。
当時58歳だったWolfowitzは白髪で物腰柔らかな政治学者だったが、“Wolfowitz had edgy, hawkish views. The reasons for getting rid of Saddam were: It was necessary and it would be relatively easy.”(ウォルフォウィッツは鋭利でタカ派だった。サダム・フセインを倒すべき理由はこうだった−−必要かつ比較的容易だ)と決めつけた。

同じWoodwardの著書“Plan of Attack”「攻撃計画」の一節による。

Bob WoodwardはCarl Bernsteinと共にThe Washington Post紙の新米記者としてWatergate Scandalを追及、1974年8月9日、R.Nixon大統領を辞任に追い込んだ。ボクはこの第一報を滞在中のNZで知った。The NZ Heraldのfront newsのHeadline“Nixon Quits”が鮮烈だった。
ペンによって最高権力者の悪事を容赦なく追及する2人の新鋭記者のジャーナリスト魂に今もって敬服する。

1990年8月2日イラクによるクエート侵攻が勃発した。翌91年1月17日、国連決議による米軍を中心にした多国籍軍イラクを反撃。Operation Desert Storm(嵐の砂漠作戦)を皮切りにあっという間にSaddam Husseinを追い詰め、湾岸戦争に勝利した。時の大統領はパパBush、国防長官はDick Cheneyだった。

なぜこの湾岸戦争時にSaddam Husseinの命脈を絶たなかったのか。そこには米国の政治的思惑があった。

Dick CheneyはGeorge W. Bush政権でVice Presidentに昇進した。「史上最強の副大統領」とも「史上最悪の副大統領」とも称せられた武断派だ。イラク戦争の推進はCheney、Donald Rumsfeld(国防長官)、Wolfowitzのタカ派三人組の合作だ。三名のひと言、ひと言がPresident Bushを縛り、動かし、そして、こんにちの泥沼に通じる袋小路を作ったと言えよう。

タカ派の愚劣な暴走による戦争を阻止するのは、80歳代以上の人々の語りつくせぬ実体験のストーリーとそれを間接体験として脈々と語り継ぐ我々世代と更に若い世代の者たちの「戦争だけはやってはならない」の言葉の積み重ねだろう。