季語泣かせの“葉桜お雪”

四月半ばの降雪には驚いた。都内では、41年ぶりの季節はずれの遅い雪である。そういえば淡い記憶がある。

“淡雪”と洒落てみたいところだがトンでもない。淡雪は沫雪とも呼び、冬のものか春のものか議論が分かれたほどで、江戸時代の俳諧では冬の季語、近代になって春の季語となった。昨夜から今朝にかけての雪は牡丹雪だったが、葉桜の時節に牡丹雪とはこれいかにだ。「夜桜お七」ならぬ“葉桜お雪”だ。
葉桜の時候の歳時記を読むと、魚島時(うおじまどき)とある。産卵のために真鯛が瀬戸内海へ入り込む。婚姻色を帯びたこの鯛は桜鯛と呼ばれる。つい先ごろ海へ散った桜の花びらの色だ。その桜鯛が出回る四月半ばから五月にかけてが魚島時であるとい云われている。

今の時節に異変がなければ、時候の挨拶は“魚島時”が最適だろう。


先日多くのお得意先に出した書簡の時候の挨拶は「春暖」「陽春」・・。汗顔の至りだ。まさに“春寒”といったところだが、これは早春の季語、春になってからなお残る寒さ、余寒の意味だから使えない。
先の日曜日の陽気ならば“春昼”と呼びたいところだ。春たけなわのころの昼間。明るく、暖かく、のどかで、憂いや倦怠が生じ、ついウトウトと惰眠をを貪り勝ちだ。
このところの寒暖二極化に関わりなく、確実に、また急に昼が長くなった感じがする。部屋の窓外を覗くと日脚が伸びつつある。時候は永日である。

漱石が句を詠んでいる----
永き日や欠伸うつして別れゆく
  良寛に鞠をつかせん日永かな
良寛の歌にある---
子供らと手毬つきつつこの里に遊ぶ春日は暮れずともよし

明日の日曜日は寒さが和み陽春に返るようだ。
“Back to winter”は季語泣かせと云うべし。
----坪内稔典『季語集』参考----