The Graduatesに--現実を正面から見すえ、押し返す勇気を・・

“とかく霞むが春の癖”と云うには未だ早いが、このところ陽気が定まらないのには困ったものだ。
高校卒業式の時節がやって来た。入学願書を出すのが梅の季節、卒業式は辛夷咲く頃だ。


今日、我輩が関係する私立高校で卒業式が行なわれた。式辞や祝辞は比較的慣れているが、“挨拶はむずかしい”。落語じゃないが、冒頭の“枕”の部分で頭が混線した。昨日から心労ならぬ“脳労”過重のせいか・・? 最近鈍化している頭脳の容量を超えた複合作業が集中し、我がcapacityを超えたからだろう。
本題に入り、少しずつ乗ってきた。「人は人生の前半で学ばなければならない」(ユング)
『人は自分以外の者のために働いているとき、そしてそこに自分がいなければ困ると実感したとき、最大の力を発揮する』(?)
そしてさげの部分は---
「いまの世の中はいろんな面で行き詰まった感じ、閉塞感が見られます。ネガティブな刺々しい言葉や風景が漂っています。確かに君たちを包む社会は激しく揺らぎ、さらに困難な時代が待ち受けているかも知れません。けれども、たとえ未来が見えなくても、それぞれが自分を律し、やるべきことをやり抜けば、困難な問題も解決でき、良い未来にたどりつく。このような人生観を持つべきではないだろうか。『明日がわからないと言って、時代が良くないからといって愚痴をこぼしたり、内向きになったりしないで、良くない現実を正面から見すえ押し返す勇気を持ってもらいたい』そう願っています。

勇気と云えば世界の喜劇王、名優Charlie Chaplinが≪Limelight≫のなかで『人生で大切なものは勇気と想像力と少しのお金だ』と、そのように道化師に語らせています」

高校卒業生への餞の言葉だが、ボク自身に対する言い聞かせでもある。
我がスピーチは語りがスローペースだったこともあり、20分以上要したらしい。この冗長は、語りの内容は別として、感心できないのが我が国の慣わしらしい。東大の元総長蓮見重彦先生の卒業式での45分の告示は今なお語り草になっている。挨拶は長さの長短の問題ではない。内容がworth listening;worth readingか否かだ。
本日の我がスピーチ、卒業生の耳に届き、胸に刻まれ、記憶にの残るだろか。
自信はない。挨拶も相手次第。難しい。