師匠を乗り越える

去年、今年と喜寿を前に76歳で鬼籍に入った芸人が目につく。先日藤田まことさんが、そして昨秋10月末、六代目三遊亭円楽師匠が他界した。
そして明日28日、楽太郎さんが六代目円楽を襲名する。

五代目は人情話で定評があった。例えば1時間に及ぶ「浜野矩随」、登場人物に同化して喜怒哀楽が激しい。大笑いする噺家、涙を流す噺家として人気も高かったが、芸風はとなると六代目を継ぐ楽太郎さんも「師匠を写し絵にしながら・・」とは言うものの、独自カラーを出さざるを得ないだろう。むしろ、その方が賢明だと思う。五代目円楽師匠に、楽太郎さんは真打になったころ「お前の噺は理屈ぽくって面白くねえ。落語ってぇのはいい加減な方がいいんだ」などと言われたようだが、どのように受け止めたか。

寄席で円楽、小三治の両師匠がでると、たいがい小三治さんが中入り前、トリは円楽さんがつとめたものだ。円楽師の芸風が派手で、素人受けしたからではなかろうか。
若竹一座には師匠円楽にも、今度の六代目にも客を自然と本題の演目に引き入れる気の利いた“枕”が乏しかった。楽太郎さんは「師匠が名人ならば私は達人を目指す」と言っている。その意気で、五代目の枠にとらわれず、人情話だけでなく古典の滑稽噺にも積極的に取り組んだら名人の上をゆくだろう。


“まくら”といえば小三治師匠だ。パソコンが子供の世界にも猛烈に流行りだしたころ、“まくら”でパソコン叩きをやっている---

「・・いろいろやってみてわかりましたけど、パソコンはバカだっていうことです。どうバカかっていうと、パソコンはね、言われたことしかわからない。おわかりですか? 言われたことしかわからない。
われわれ人間はね、1を知って10を知るっていうことがあります。一を知れば、ああ、今までこうやったんだから今度のときはこれをやりゃいいんだなって、一を知って十を知るってことがある。パソコンは何もわからねぇ。あれはバカの塊ですよ。一を知ったら一しか知らない。いわれたことしかわからねぇ。そのかわり、あたしよりすぐれていることはたった1つ。一度覚えたら忘れないってこと。
子供はね、とても覚えやすいんですってね、あれは。子供はわれわれのように、そうやって一を知って十を知るってことを知らないから。まだ知恵がついていないから取っ付きやすいんだね。・・・つまりね、パソコンは知恵がないの。知恵はダメなの。世の中ではね、いくら物覚えがよくても知恵のない人はバカってんですよ。
おわかりですか? 学校の成績がいくらよくても、それだけではパソコンと同じなの。知恵のない人はバカってんです。だからパソコンで、小学校二、三年からこうやって、フェーフェーフェーってやって、試験なんかもパソコンゲーム感覚でパッパッパッと受かっちゃって、どんどんどんどんいい学校へ行って、それで親は満足してっかもしんないけど、子供の頭はただパソコンになっちまって、ゲームやってるのとおんなじ、それで東大なんか出ちゃって、東大出て、出たけども、さあ知恵を使って生きなきゃなんないときになったら、何をして遊んでいったらいいのか、どう生きていったら人が豊かになるのかなんにも知らないの。だから、しょうがないから、キャンパス中ボーッとして歩いているってぇと、そこにいやに脂ぎったむくんだ人相の良くねえ、髪のぼさぼさのヤツが来やがって、『きみきみ、あぐらをかくと体が宙に浮くよ』
それで本気になっちゃつたヤツがいっぱいいるんですよ。・・・・・・・」

小三治師匠は、故五代目小さん師匠を乗り超えていると思う。10年前の某独演会での“枕”の一節だが、≪お受験≫ファミリーは傾聴すべきだ。