心ならずも・・・

文学座で装いも新たに「女の一生」が上演される。“装いも新たに”とは長く杉村春子さんが演じてきた布引けいに新進女優を抜擢し、江守徹氏がはじめて演出するからだ。
江守氏はいまや文学座になくてはならない看板役者でもあり翻訳・演出を手がけるやり手だ。
ところで同氏の芸名の由来がふるっている。Shakespeareに並ぶ17世紀のフランスの劇作家J.B.P.Moliere(モリエール)の名を逆さにして付けたとのだという。Moliereと云えば、フランスの喜劇王というより、多くの作品の面白さは他の追随を許さない。現代にも通じる人間の感情を生き生きと描くその笑劇(farce)が、日本でもっと上演されないのが不思議だ。
このMoliereの笑劇にボクは学生時代から20代後半にかけてはまってしまった。

大学四年のとき仏演劇同好会を結成し、上演したのが“Le Medecin Malgre Lui ”『心ならずも医者にされ』。三幕モノだが稚拙な我が演出のせいもあり、3時間を超える冗長な芝居になった。
ひょんなことで、高校生を教える仕事に入り早速演劇部の顧問に相成る。とたんに仏喜劇、George Courteline(G.クールトリーヌ)の小品『署長さんはお人好し』(Le commissaire est bon enfant)を取り上げた。
因みに、この風刺劇の本邦初演は1948年文学座による。岸田國士訳モノが丸の内の日劇小劇場(当時)で舞台化されたが、我が素人の『署長さん・・』もかなりの好評を得た。これに勢いづいて翌年(1966年)秋、高校文化祭で上演したのが、選りによって大学で悪戦苦闘した“Le Medecin Malgre Lui”。部員が高校の図書室から岩波文庫本を借りてきて、舞台化したいと我輩に推奨したのには驚いた。
鈴木力衛訳によるもで『いやいやながら医者にされ』と改題されていた。
高校生の演劇部がMoliereの笑劇、それも三幕モノの大作に取り組むなど、無謀の極みだが“盲人蛇に怖じず“、最後の数日は泊り込みで上演にこぎつけた。裏方も含め、20人以上の男子生徒が舞台づくりに加わり、主役スガナレルの妻マルチーヌには外から女子高生を“抜擢”、三日間で四回上演し延べ二千人近い観客を集めた。今なお、当時の関係者が集まれば、語り草を超えて自慢の種となっているほどだ。
Moliereの作品と云えば、その後“スキャパンの悪巧み”(Les Fourberies de Scapin)を大学生相手に舞台化したが失敗。
昔日のことで何年前になるか忘れたが、Comedie-Francaise(コメディ・フランセーズ)が来日し『ジョルジュ・ダンダン』(George Dandin)の舞台を観にいった記憶がある。

ところで“Le Medecin Malgre Lui”に関してだが、『心ならずも・・』とか『いやいやながら・・』の題名が長すぎるという理由で『にわか医者』と改題されているようだが、如何なものだろう?

「この笑劇は完成度が高い。伏線を極力排し、笑いをむやみに引き摺らない洒脱さが秀逸だ。Moliereの医者嫌いは有名だったという。学識を笠に着て患者を蔑ろにする医者への不信感は容赦なく、『医者の処方なしに死ぬという方はない』と云う台詞をさり気なく忍ばせるのは辛辣この上ない。デタラメなラテン語と学説にたわいなく騙されてしまう人々の可笑しみは、専門家の意見に盲従する現代社会でも不変だ。Moliereの喜劇(笑劇)は笑う者を笑うのだ」(h6.dion.ne.jp/.../moliere.html参照)
このお芝居、やはり『心ならずも・・・』が名(妙)題だろう。
“心ならずも”は、英語ではunwillingly=against one's willといったところか・・。