流浪はいいが“堕浪・堕流”は・・・?

終戦間もない時代、ボクが小学生のころ、老若男女の別なく、駅前や公園や地下道に住まいの無い人々が散見されたり、たむろしていた。新聞ではこうした人たちのことを浮浪者と呼んでいたが、実際は、ホームレスの勤労者だった。無業者は物乞いに個別訪問。傷痍軍人アコーディオンを弾き街角で銭乞いしていた。
これらは全て、無謀な戦争の負の遺産であり、我が国の癒し難い後遺症だったはずだ。

60年後の現在、様相は一変している。ニートやホームレスと言われる人たちだけが、必ずしも浮浪者風情ではない。
目下開催中のVancouver五輪、スノーボード男子ハーフパイプに出場した日本の若者の服装と態度が顰蹙をかった。「腰パン」なるファッションに奇怪な?ヘアー、加えてインタビューの応答に呆れた人も少なくなかろう。
「腰パン」は英語でsagger(サガール?)、中国語では「露股装」という。米中語とも言いえて妙だ。

「腰パン」、ぶら下げネクタイ、擦り切れたズボン裾、ワイシャツの外出し、そして茶髪・超長髪・ピアスとくれば、好ましからざる男子高校生のいまどきの格好である。「腰パン」姿の起源は囚人服という説もあるが、貧乏で成長しても着られるように大きな服を選んだというのがどうやら真説らしい。しかるに、米国では多くの学区で「腰パン」禁止。罰金$150または15日の禁固刑の条例が制定されている州もある。
「腰パン」論議は色々だ。「だらしない」「みっともない」と怒りを発する大人もいれば、「価値観は多様だ」と某代議士、「着崩しが上手だ」など絶賛するTV。

「いま時、まだ腰パンかよ? ダサい!」と某高校生。

「腰パン」論争をもっと深めたらどうか。「腰パン」イコール、現代若者のファッションと片づけていいか。「腰パン」とそれに付随する浮浪?ファッションにかつてのヒッピーや、イッピーに見られた反骨精神や社会正義、peace-seekingの思想は感得できない。かれらを呼びとめ、面談・会話する機会が少なくないが、彼等の多くは言語力が著しく低い、会話を交わせる言葉を持ち合わせていない。自己のストーリーが語れない。

「君のうち、新聞取っている?」
ボクは彼らに決まったように質問する。
ほとんどの者が「取ってない」「モノは読まない、書かない」「勉強なんて嫌いだ」と平然と答える。≪堕浪ファッション≫の背後にある、no literacyが怖い。
たかが「腰パン」「茶髪」「超長髪」ですまされない。こうした若者が下流に流され救いようのない堕流へと・・。ボクは暗澹たる気がする。画一的で牢固としたオールド・ファッションの考えだろうか?