目に余る家庭での躾の差

通勤電車内で新聞を読む大人がますます減りつつある。子供・若者の活字離れなどと偉そうなことをノタマウ資格はない。朝の地下鉄は居眠り族が大方。それ以外は携帯メールのラッシュだ。我が国の地下鉄はNYのsubwayやLondonのtubeなどと比較にならない安全地帯だが、何年か前、東京メトロの丸の内ラインの利用客がマンガ本やタブロイド紙、そして携帯に夢中になっいる風景に海の向こうの我が友は驚いた。異様なsceneに映ったわけだ。
これが、中高生に感染、新聞読みはほぼゼロ、携帯かゲームがファッションとなっている。また場所をわきまえず仲間内で大声で嬌声を上げる、茶髪・超長髪、超短スカートの男女高校生たち。はしなくも、学校差、教育差が見て取れる。経済格差が教育格差に通じる一面も否定できないが、家庭での躾の差、家族内の話題の差が知らず知らずのうちに日本に“階層”を生み出し、著しい格差社会を招いているのが実態だ。

いま求められているのは日本人の規範意識ではないか。修身や道徳教育の復活・強化を望んでいるわけではないが、ある種の憂国の気持ちは禁じえない。