周平さんの描く女主人公はみんな美女?

藤沢周平作品が劇場映画化される。「花のあと」、六作目になる。
初出はオール読物1983年(昭和58年)8月号。文庫本40頁足らずの短編である。
A紙夕刊に全面広告が出た。キャッチコピーが踊る
“日本人が昔からよしとしてきたたたずまいが描かれている”“まっすぐ懸命に生きようとする名もなき人々へのまなざし”
芸達者な脇役で固め、主人公は武家の娘だ。私見だが、周平作品を映画化するとき難しいのが武家女、町人の女などをどのように描くかだ。制作者や監督は得てして魅力的な美麗な女優を抜擢したくなる。

が、今度の「花のあと」の主人公である武家娘、以登だが、「娘ざかりを剣の道に生きたある武家の娘。色白で細面、けして醜女ではないのだが父に似て口がいささか大きすぎる。そんな以登にもほのかに想いをよせる男がいた。部屋住みながら道場随一の遣い手江口孫四郎である。老女の昔語りとして端正にえがかれる異色の武家物語」と文庫本の解説にある。
周平さん自身、冒頭部分で娘時代の以登を次のように描いている---
「外孫の加納幾之助がからかうほど、五十年前の以登が醜女だったわけではない。その年は十八で、齢相応の花やぎを身にまとう娘だった。しかし、口の悪い幾之助の推測も幾分あたっていて、以登は美貌ではなかった。
 細面の輪郭は母親から譲りうけたものの、眼尻が上がった眼と大き目の口は父親に似て、せっかくの色白の顔立ちを損じている。以登は日ごろから大きなめな自分の口を気にしていて、ひと前で笑うことはおろか、なるべく口のあたりが目立たないように面伏せに振舞うことを心がけていた。そして事実そうしているかぎり、これまた父親譲りの激しい気性も目立たず、以登は齢に相応したつつましげな娘にも見えるのだった」

≪藤沢氏の描く女・・・とびきり美しい女が登場するわけではない。『花のあと』の以登にいたっては醜女に近いのであるが、初恋の相手孫四郎との試合のさなかに襲われる恍惚感のくだりを読むと、この女が醜女であることを忘れる≫と解説者は語ってる。
そのくだりは---
「どうだ、これで気が済んだか?」
「はい」と以登は言った
「江口孫四郎は好感だが、二度と会うことはならん。そなたは、婿となる男が決まった身だ」
「わかっておりまする。有難うごさいました」と以登は言った。
 そのときにも以登には、もうわかっていたのである。江口孫四郎とひとたびは試合をとねがった、あのはげしい渇望が恋であり、その気持をまた、どういうわけかむくつけき風貌の父親が察知して、罵るかわりに粋を利かせて孫四郎に会わせたのだということも。だが恋ならば、それは思い切るしかなかった。父に言われるまでもない。
 眼がくらむほどの一日が訪れ、そして去ったのを以登は感じた。------

映画での藤沢モノの人物描写は難しい。まして武家娘、それも剣のやり手となると至難だろう。
ボクは周平さんの当作品を読んで久しい。ストーリーも鮮明に覚えていない。映画を観る前に再読したい。往々にして、原作に比べ映画が甚だしく見劣りする場合があるからだ。