旧き優れた古典モノ

早や今日で一月も晦日だ。
今年は何故か新年から立て続けに芝居見物。近年にないことだ。


年明け早々、国立劇場で歌舞伎「通し狂言 旭輝黄金鯱」、数日後、高校生相手の演劇教室、Shakespeareのcomedy“The Merchant of Venice”を観劇。
Ant. In sooth, I know not why I am so sad:
It wearies me; you say it wearies you;
But now I caught it, found it, or came by it,
What stuff 'tis made of, whereof it is born,
I am to learn;
And such a want-wit sadness makes of me,
That I have much ado to know myself.
ベニスの商人Antonioの嘆きの台詞で幕が開く。
  『まったく訳がわからない。どうしてこうも気がめいるのか。
   我ながら厭になる。なるほど、君たちだって迷惑だろう。
   だが、このふさぎの虫、どうしてそいつに取りつかれたのか、
   どうしてそんなものを背負いこんだのか、そもそも何がもと
   で、どこから生じたのか、それがさっぱり見当がつかない。
   とにかく、気はめいるばかり、おかげですっかり腑ぬけのて
   い、自分は自分の心を掴みあぐねている始末なのだ』
福田恆存の名訳だが、高校生向けにかなりアレンジされ、ドタバタのアドリブも見られた。
さらにこの三月『女の一生』を観る予定だ。文学座にとって10年ぶりの舞台、新たに江守徹が演出し、新進女優を主役“布引けい”に抜擢する。
初演は帝都が戦火にあった1945年。演出は久保田万太郎、装置は伊藤熹朔(1967年没:享年67歳--俳優座演出家千田是也の兄)だった。その後、装置は朝倉摂さんに引き継がれるが、舞台美術・装置を目ざす者にとって古典というべき必読の書がある。もう絶版となっているが伊藤熹朔著『舞臺装置の研究』がそれ。我輩が一時期芝居づくりに手を染めていたとき大変お世話になった宝物である。

本書にに久保田万太郎が≪序≫を記している。
「芝居の仕事にたづさはるもので芝居の好きでないものはない。といふよりも好きなればこそ、われわれは、芝居の仕事にたづさはり、また、たづさはれるのである。が、それにしても、この本の著者の如きもめづらしい。十二、三のとき、すでに、とりで試演会のためにかれは小道具を製作したといふ。・・・そして、そのまま、芝居にうき身をやつしつ、今日に及んだのである。
われわれ友人は、かれの技術を尊敬しないものはない。同時にわれわれはかれの設計、かれの製作とともにかれの「人」に対し限りなき信頼を持つてゐる。なぜか、われわれは、かれを熹朔さんあるひは熹朔(きさ)ちやんとよんで、伊藤さんとも、伊藤君ともよばない。かれの指導下にある若い人たちにしてもさうである、決してかれを先生とよばない・・・。なぜか?・・』


だれにも親しまれ敬愛されていた伊藤熹朔さん、古典的名著『舞臺装置の研究』の≪後記≫のなかで次のように語っている---
「私が、芝居の仕事をやり始めてから、もう二十年は過ぎてしまひましたが、それは、私に長い様なみじかい様な、変な感じを与へて居ります。その間、ただ一とすじに、芝居のことだけ考へて暮らして来たといふだけで、何んの取柄もありません。
 数にすれば千近くの作品の舞臺装置をして居ますが、数の多いだけでは自慢にもなりません。
この本は、私の劇場生活の時折、おぼへたこと、経験したこと、考へたことを書留めて置いたのを、まとめたものであります。
それ故、何も新しい主義主張を書いたものではなく、全く、舞臺装置の基本的なこと、常識的なことを書いたもので、これから舞臺装置の仕事を志す人は勿論、作家にも、俳優にも、その他の劇場人にも、観客にも、一度は読んで識つて貰ひたい事を書いたのであります。
思へば、この種の本は、日本には全くありません。この本に依つて、少しでも舞臺装置の本当の道が解つて貰へば、これに越した喜びはありません。・・・」

1941年1月29日の記である。謙虚に基本と常識を説く熹朔先生を乗り超える同種の著書に出逢わない。朝倉さんは別格として、近年の舞台装置家に見るべき人材が果たして存在するだろうか。徹底的なリアリズム舞台を経て、独創的な様式美に昇華させる舞台人は稀だ。