新しい人との出会い、希望を持ちひるまないことの大切さ

ボクは今年の年賀状の冒頭部を旧年を振り返り、次のように切り出した。
「新しい人たちと出逢った1年でした」
“新しいひとたち”の意味するところは何か。ボクは、98年三月東大の卒業式における蓮實重彦総長(当時)の告示の一節をいまなお刻印している。

「あなかた方の知性は、まさに他人とともに考え、他人ととともに行動することで初めてその質を高めることになるのです。・・・誰もが気心の知れた仲間とはおよそ異質の他人の存在を周囲に必要としています。国籍・世代・性別を異にする存在を・・。
あなた方一人ひとりが、そうした他人と遭遇する機会に恵まれるように・・」
蓮實総長の告示は45分に及び、難解すぎると批判した識者もいたが、ボクは何度も再読し、咀嚼しようとした。この“新しい人たち”のなかには“新しい優れた人たち”の含意がある。
上の冒頭部に続いて「希望をもつこととひるまないことの尊さを教わった一年でした」と記した。
“希望を持つ・ひるまない”と自問自答するとき、思い出すのは一昨年暮れに逝った加藤周一さんの追悼番組である。亡くなられた10日後に放送された『加藤周一 1968年を語る』というNHK綜合のTV番組である。自ら余命幾ばくも無いことを悟っていたに違いない加藤さんが病を圧してまで出演したのは、命を縮めてもなお伝えておきたいことがあったからだ。この番組で語ったことはまさに加藤さんの「遺言」というべきものだった。
いつもと変わらぬ笑みを浮かべ、時折りユーモアを交え静かに語り続けた。
加藤さんは80歳の誕生日を迎えたとき、「人生があと倍あればねえ・・」といたずらっぽく笑いながら言ったという。書く時間、語る時間がもっと欲しかったのである。

加藤さんはお喋りの名手だったと思う。日本の三大お喋りは久野収桑原武夫丸山真男だといわれているが、そこに加藤さんを加えて「日本お喋り四天王」ということになろう。
加藤さんをかかるお喋りに駆り立てたものは何だろう。「人との交わりを好んだからでもあるが、世の中は変わりうるという認識をもっていたからに違いない。世の中が悪い方向に変わりつつあるという『絶望』も抱いていたが、それ以上に、望ましい方向にも変わりうるという『希望』を信じ『希望』に賭けていた。『希望』を捨てない限り『敗北』はない。加藤さんから私たちが引き継ぐべきは、まさにこの『希望の精神』に違いない」--(鷲巣力:≪希望の人≫より)
我が辞書にも絶望と諦念と自暴自棄は除外したい。

≪ひるまないことの尊さ≫を教えてくれたのは、医師より余命数ヶ月を通告された我が家のold true friendの別れ際の言葉“Be brave”である。