名作の再演が名優の発掘につながれば・・

女の一生」が江守徹の演出で再演される。文学座付属演劇研究所開設50周年記念公演である。主役布引けいに新人を抜擢。知る人ぞ知る杉村春子さんの新劇界で稀に見るレパートリーだ。森本薫のこの名作舞台に江守徹はいかに新たな生命を吹き込むか。見モノである。

杉村さんの「女の一生」の初演は日本の敗戦間近の1945年4月にさかのぼる。
演出は久保田万太郎、舞台装置は伊藤熹朔。東京東横映画劇場(当時)で6日間上演された。
初演の模様を文学座代表龍岡晋氏が記している---
「空襲漸く熾烈となり予定していた国民新劇場(築地小劇場)及び明治座焼失。
前日横浜へ行った南美江、大空襲に遇ってついに東京に帰れず、ために、新田瑛子が代役。宮口精二罹災のため来られないだろうと森本が急遽セリフを覚えて万一に備えたが、当の宮口が出てきたので、森本薫の舞台はついにみられず」可笑しくも壮絶なエピソードである。
ボクが初めて「女の一生」を観たのは73年の年の瀬。場所は渋谷東横劇場、演出は60年より久保田万太郎から引き継いだ戌井市郎さんだった。
それから10年後の83年、同じ東横劇場で再度観ている。

杉村さんの「女の・・」最後の舞台は90年だった。その後自身生前中に一度平淑恵に舞台を譲ったが、長続きしなかった。
杉村さんのあとを継ぐ文学座の大型女優といえば、太地喜和子だったであろう。酒豪で浮名も絶えなかったが、我が国新劇界を背負って立つ名女優を約束される多彩な演技は際立っていた。
92年8月、三越劇場での「唐人お吉ものがたり」---女人哀詞--の名舞台が忘れられない。この舞台がよもや太地喜和子の見納めになろうとは、ボクだけではなく、多くの喜和子ファンは思いもよらなかったろう。

同年10月13日、伊豆での地方公演の夜、他の役者とともに同乗していた車が伊東の海に転落し溺死した(48歳没)。喜和子さんは顔も洗えないほど水に弱かったという。
まさに≪女人哀詞≫である。自分より早く逝ってしまった喜和子の告別式で慟哭した杉村さんも、5年後の97年喜和子のあとを追うかのように他界。享年91歳だった。
稀代の名優杉村春子も今はなし。後継者たるべき太地喜和子も早世した。その後、文学座に華のある女優がなかなか現れない。
今度の江守演出「女の一生」が名女優誕生を予感させてくれる舞台となるよう期待したい。