「説明責任」を求めるが相手が相手だ・・

政治資金規正法違反容疑で東京地検特捜部が、現職衆議院を含むDPJ最高実力者O氏の元秘書3名を逮捕した。地検特捜部を激しく動かしたものは何か?

第一にO幹事長の傲慢さにあろう。事柄に対する記者会見での慇懃無礼な態度にはあきれた。同氏の頭にある「説明責任」となんぞや。“高圧的な説得”で世論や社会を睥睨し、撫で斬りできると考えているのではないか。

最近も時折り岩波の「世界」を読むことがあるが、同誌の元編集長安江良介氏の卓抜したジャーナリストとしての存在は大きかった。98年53歳の若さで他界した。今もって早世は惜しみて余りある。岩波書店の社長でもあった安江さんが遺した信濃毎日新聞に連載したコラムがある。94年5月21付のコラムでO氏について次のように語っている。
「O氏は、ぶっきらぼうに見えて、雄弁である。しばしば物議をかもしている。
社会党が連立政権内部のルール違反に反発している時、O氏が『どの女と一緒に寝ようといいじゃないか』と国会内で語り、批判されたが、この批判を気にしてか、O氏は、次のように激しくマスコミ非難をしたという。『ペンの暴力を断じて許してはならない』『戦前、軍部の手先になって大東亜共栄圏を唱えたのはマスコミそのものであった』『(先の私の発言を取り上げた)A紙はアカ新聞かブラック・ジャーナリズムかと思った』(A紙・5月17日)」
「O氏は極度に強情で、説得力はあるが高圧的だという。加えて、意外に小心とみるべきではないか」
そのうえで、安江さんはO氏について気になる点を指摘する。

「彼の『高圧的な説得力』である。私は、O氏の論法をみて山県有朋の政治姿勢を思いかえした。
・・・『軍国主義の権化』ともいわれた山県有朋は、かつて地租税率引き上げをめぐり伊藤博文と激論した。増税に反対する伊藤に対して山県は『軍備拡張ができなければ国は滅びる。それ故に増税は断じて実行すべし。もし議会が反対するなら憲法を中止してもよい。憲法も国家があっての憲法にすぎない』と言い放った。・・この短兵急の論理は、O氏の著書にも通ずる。・・」
“断じて云々”という言い方は今日のO氏のDPJ党大会における発言のなかでも耳にした台詞だ。
今度O氏はマスコミ攻撃でなく、東京地検に対決するという。“地検との戦争”“War Against the Tokyo District Public Prosecutor's Office”らしい。O氏が“私は口下手でして・・”と謙遜するときは要注意。謙虚と謙遜は同じではない。
与野党の幹部は口を揃えて“説明責任を果たすべし”とO氏に迫ったり、願ったりしているが、この「説明責任」というものが曲者だ。
“説明責任”といえば英語でいとも簡単にaccountabilityと訳すが如何なものか? accountability=responsibility+answerability+reliabilityでる。

DPJも金権体質の臭い濃厚だ。ゼネコン・土建業者の存在がちらつく。
明日は1/17。安江さんは「自然の猛々しい力と、人間の営みの弱さと未熟--兵庫県南部地震の惨状に深く心を痛めながら、そう思わざるをえなかった」と≪1月17日の教訓≫と題して警告。その上で「日本の都市政策は、建物の耐用年数ほどの計画性しかもっていない。近代化を急ぎ、田圃の上にそのまま都市化が進んでだような都市が多い。そして造っては壊し、壊しては造る過程だった」と語る。

15年前O氏は新進党の幹事長。その年の12月党首に就任したものの、同党も内部分裂し消滅。98年自由党を結成し代表になったが、またもや解党。
2002年菅氏らが率いるDPJと合流し、現在に至るという、紆余凶変の持ち主だ。まさに「日本改造論」じゃあるまいが、scrap and buildならぬ建ち上げてぶっ壊す我が国一流の土建屋的発想の典型的人物である。
DPJのなかに闇将軍の居直りに毅然と立ち向かう志士はなし。“モノ言えば唇寒し”の寄り合い所帯のDPJにreliabilityは感じられない。