≪新しい人≫が現れるように願いたいが・・

ボクは年賀状を書き終えるのがたいがい大晦日になってしまう。特にこれといった理由はない。新年の到来がイメージできないのと怠惰のせいである。家族に叱られている。
ヘッドラインは毎年英文である。昨年は“May Love, Peace and Prosperity Remain with You for a Happy Healthy New Year of 2009”としたが、今度は“May you be blessed peace, happiness and prosperity, now and always”と記した。似たような意味だが、今のご時世に照らせば、peaceとprosperityは欠かすことの出来ない言葉だ。
このたびの賀状は冒頭部を「新しい人たちに出逢った一年でした」で切り出した。確かに多くの“新しい人”に出合ったが、ここでフト考えさせられる。
“新しい人”のほとんどはボクより若い人たちだった。
「『もし若者が知っていたら! もし老人が行えたら!』というフランスの古諺は、若者の実行力と老人の智慧とを現すとともに、若者の浅慮と老人の無力を嘆いたものでしょう。しかし、実際には、『もし若者が行えたら、もし老人が知っていたら』と言い換えることも可能と思われる面もあるのです」
大江健三郎氏が引用した、師というべき渡辺一夫先生の言葉である。

ボクなどは老人と呼ばれるにはまだ早いが、余りにも知らないことが多すぎるのに最近しばしば気づかされる。同時に、若者が余りにも行動しないことに驚いている。
『新しい人』になるためには学ばなければならない。旧来の体験主義よっては“新しい人”にはなれない。「『新しい人』になる自己教育を、あなた方がいつもめざしてもらいたいと」と大江氏は若者に呼び掛ける。
歳を重ねてゆくボクたちとて改めて自己教育が必要だろう。

確かにボクたちは“この世界の古い大人たち”だ。例えば、人類すべてを死滅させるかも知れない核兵器に頼って、地球の平和を保てると思い込んできた。それでも永い間に、核兵器をすこしずつでもあれ減らし、やがてはすべてを無くしてしまおうという考えを持った人たちのねばり強い努力がある。
Barack ObamaのPragueでのスピーチ“the world without nuclear weapons”に「新しい人」の到来を実感した。それは大江氏の言う≪敵意を滅ぼし、和解を達成とようと≫とする「新しい人」の出現だと信じたい。
“学ぶべきこと”は余りにも多い。学ぶことにより希望が沸いてくるのではなかろうか。
ボクは賀状の冒頭部を「希望をもつこととひるまないことの尊さを教わった一年でした」と結んだ。袖すりあえば希望の息吹が感じられる真の“新しい人”、そのような若者に出逢いたいものだ。