ふと気がつくと“集合的無意識”のなかに取り込まれていないか・・

少しは“知るを楽しむ”1年だったかと思う。
過日、NHK-E『知楽』で≪孤高の国民作家 松本清張≫を辻井嵩氏が語っていた。70年代〜80年代にかけ、清張モノを耽読したボクにしては見逃せない番組なので録画し何度も視聴している。
清張作品に共鳴している辻井喬氏の丁寧な語り口と解説に感銘を受けた。
辻井さんの語った言葉で印象的なのは、日本人の持つ“集合的無意識”(Collective Unconsciousness / C.G.ユング)と“非俗”という言葉だ。

清張は集合的無意識から一歩身を引いた孤高の作家だという。孤立すると得てして反俗となり帰属性、つまりある種のグループに属したがるが、清張はそうではない。吉川英治司馬遼太郎のような独自の「史観」を持つことを警戒したという。同感だ。でなければ、清張のタブーへの挑戦はなかっただろう。
世界も変わりつつある。日本もいわゆる冷戦時を引きずった55年体制が崩れた。民主主義が一歩前進したと国民の多くは感じているだろう。が、その中身はどうか。集団的無意識に取り込まれているのではないか。

こうした現代においてこそ、清張の作品の力が改めて必要となろう。そのように辻井さんは締め括っていた。
私事に及ぶが、もう3年前になろうか、お正月の「宮中歌会初め」で畏くも皇族の前で1時間半余り御歌を陪聴する機会を賜った。ボクの前の席に辻井さんが背筋を伸ばして座っておられた。ボクは近年まれに見る緊張に襲われ、身が凍りつく思いだった。
なぜか親近感を覚える辻井喬氏は知る人ぞ知る元Sグループのトップ経営者だった。政治家の秘書も務め、学生時代JCPに属していたこともある。
61年、詩集『異邦人』を出し、69年長編小説『彷徨の季節の中で』を出し、文学経歴をスタートしたようだ。

「まず詩集を出す。それから自伝的な長編小説を書く。これはイギリスの文学者のごく標準的な、と言つて悪ければごくありふれた登場の仕方だつた。・・(その点)辻井喬氏の文学的出発は極めてイギリス文学的である」(丸谷才一氏)
憲法に生かす思想と言葉≫のあとがきで「もう三年戦争が続いていたら、多分僕は『赤紙』によって召集されていただろうと思います。すでに制空権も制海権も連合軍が掌握していたから、海の向こうの戦線に連れていかれることはなかったかもしれませんが、本土決戦ということになれば戦争の最先端に立つことになったに違いません」と述べている辻井さんは、「彷徨の季節の中で」(中公文庫)の序文において次のように語っている---
「生い立ちについて、私が受けた侮蔑は、人間が生きながら味わわなければならない辛さの1つかもしれない。私にとって懐かしい思い出も、それを時の経過に曝してみると、いつも人間関係の亀裂を含んでいた。子供の頃、私の心は災いの影を映していた。戦争は次第に拡がり、やがて世の中の変革があった。それは、外部の動乱ばかりが原因ではない。私のなかに、私の裏切りと私への裏切りについて、想いを巡らさなければならいない部分があった」

そして同書の解説のなかで丸谷才一氏が「・・『彷徨の季節の中で』を見わたしたとき、この文学者の多岐にわたる広い世界を新しい見方でとらへることができるやうな気がする」と評している。
辻井喬氏は誠実で良心的な現代文学者・知識人の一人だと確信する。ボクも辻井さんのように、非俗の清張が“今ありせば”と惜別の念を抱くものの一人だが、社会小説作家と叙情詩人の両面を融合している辻井喬さんへの期待は大きい。
ともすると我々の社会に沈殿しがちな“集合的無意識”の陥穽に気づかせてくれる言葉を発して欲しいものだ