≪“軽輩・盲目“とて侮りめさるな・・≫

3年前豊島園のシネコンで観た山田洋次監督「武士の一分」がTV日曜洋画劇場年末特別企画として放映された。邦画なのに洋画劇場とはなんぞや?
それはそれとして、この作品は藤沢周平『盲目剣谺返し』を元にした時代劇。ずばり言えば周平さんが得意とする下級武士の剣客による仇討ちモノである。
藩主の毒見役を務め、失明した主人公、三村新之丞が木剣での稽古に励む。その情景の描き方に周平さんの原作と映像との大きな違いがある。
藤沢周平の時代モノの真骨頂は武士の太刀裁きのリアルで鮮明な描写と武士の簡潔な台詞の“鋭さ”“重さ”にある。

真夏の庭先での、新之丞の稽古の場面を周平さんは次のように描く---
「新之丞の稽古が、様変わりした。しぱらく木剣を振って身体をほくじた後、新之丞は構えを青眼に固め佇立する。夏の日は暑い。いくばくもなく新之丞の顔面は汗のつぶを噴き出し、そのしたたりは首筋を伝って、背と胸を伝い落ちて行くが、新之丞は凝然と立って、虫の飛んでくるのを待っている。
 視ているのは暗黒だった。その暗黒のなかに、飛来するものがある。そのものの気配にむかって、新之丞は鋭く木剣を振る。はじめはむなしく空を打ち、虫は嘲笑うように新之丞の顔や髪にとまったりしたが、新之丞の木剣は次第に正確に飛ぶ虫をとらえるようになった。いまの新之丞は、十振して九つまで虫を落とすことが出来る」
そして、妻、加世を謀った組頭の島村藤弥に果し合いを申し入れる。その口上を島村に伝えにいく老爺、徳平の肩を叩いて言い添える。
「そうだ、つけ加えて言え。盲人とみて侮るまいと、おれがそう申したとな」
この台詞だが、周平作品で最も人気のある長編『蝉しぐれ』における主人公牧文四郎が里村家老の屋敷に乗り込んで里村に放った一言「軽輩とみて、侮られましたな」と息がピッタリだ。

『盲目剣谺返し』は≪隠し剣秋風抄≫(文春文庫)の一編として収められている。その“あとがき”で周平さん自身が語っている。
「・・・子供のころに冬の夜道を三キロも歩いて、村の小学校に映画を見に行ったことが忘れられない。その映画は坂東妻三郎が二役を演じる『魔像』だった。私は兄のうしろから雪の道を歩きながら、見て来た映画の興奮がさめやらず、寒さと睡気を忘れていた。そのときも私は、多分映像というものによって別の世界に眼をひらかれたのであろう。その世界は、やはりほかのものに代替出来ないものとして、私の中に残った。
 この小説集のルーツは、さかのぼるとそのへんまで行くようである。小説の締切りは、たいてい苦痛と一緒にやって来るのであるが、その意味では、この中の何篇かはめずらしく楽しみながら書いたと言える」

『盲目剣谺返し』を周平さんは楽しみながら書いただろうか。
映画「武士の一分」を周平さんが観たとすれば、その眼に映った映像は“ほかのものに代替え出来ない”別の世界であったろうか。
余談だが、タイトル『武士の一分』は、果し合いの場における新之丞の心の声から採ったものだろう---
「・・勝つことがすべてではなかった。武士の一分が立てばそれでよい。敵はいずれか仕かけて来るだろう。生死を問わず、そのときが勝負だ」