聴き手を“惹きつけ、巻き込む”第一人称複数型のWe(we)

今朝、100人程度の40代のparentsを対象に20分余り、教育関連の話しをした。
内容はともかく、一人称に≪We≫よりむしろ≪I≫を多く使ったことが気になる。果たして聴き手のparentsは『話し手は、聴き手である自分たちのことについ話してくれている』と感じただろうか。内心忸怩たるものがある。
この点、学ぶべきはBarack Obamaのdiscourse(言葉による思想の伝達方法=言葉の使い方)だ。Barack Obamaは“Yes, we can”に代表されるように、国民や国際社会に発するspeech、addressのなかの随所にWe(we)を織り込む。滅多に「私」(I)を使わない。

論議を呼んだ、18日のCopenhagenでの演説“President Obama's Climate Speech”も例外ではない。
“Good morning. It's an honor for me to join this distinguished group of leaders from nations around the world”で始まり、“We come together here in Copenhagen because climate change poses a grave and growing danger to our people. You would not be here unless you--like me--were convinced that this danger is real”と続く。
後続の10分ほどのdiscourseのなかに、“I believe that we can act boldly, and decisively, in the face of this common threat. And that is why I have come here today.”の一節のほか、≪I, my, me ≫の一人称単数は全く見られない。全て≪We, our, us≫である。Barack Obamaのspeechesの妙はここにあろう。

“we”(私たち)は(話し手を含め)聴き手を巻き込み、聴き手を中心とした言葉で、「包括的な“we”」と呼ばれている。同じ一人称でも“I”と“We”は決定的に異なる。“I”(私)は、聴き手を巻き込むことなく、話し手のみを表す。
自分のことばかり話しをする人間のspeechは得てして鼻につく。それでなくても、ふと気がつくと、つい自分中心の話しをしている場合がある。用心しなければならない。特にリーダーから聴き手の側が期待しているのは、リーダー本人の物語ではなく、「私たち(自分たち」の物語なのだ。
話し手中心ではなく、聴き手中心のdiscourseが聞きたいのだ。


我が国の歴代PMなど大臣諸氏はどうだろう。Ex-PM Aso氏のdiscourseには余りにも“I”が目立った。現PM Hatoyama氏は少しまし・・? 闇将軍O氏は“I”丸出しだ。