政治合意のCopenhagen Climate Talks(COP15)は法的拘束力なく“Take Note”(留意)のみ

世界が注目のCOP15も“決裂”は回避されたが結果的に免れたが、Copenhagen Accord(Climate Deal)は期待はずれに終わった。
「ポスト京都議定書」に関する政治合意案は大筋では合意されたものの、採択にこぎつけられず、法的拘束力のない“留意する”にとどまった。

The NY TimesのBreaking Newsのヘッドラインは“U.N. Climate Talks 'Take Note'of Accord Backed by U.S.”、The Washington Postは“Climate deal falls short of key goals”と報じている。
やはり米国主導となったようたが、欧州の政府高官に言わせれば、“米国の気候変動対策の目標は,前ブッシュ政権下の時より前進しているが、それでもなおEUや日本と同じ軌道に乗れない”のは明確だ。
温暖化防止対策の国際交渉を妨害してきたBush政権と違い、Obama政権は交渉の舞台に復帰したものの、相変わらず京都議定書を拒否する態度は変えない。自国が国際法の下で削減義務を負うことに反対するありさまだ。

米国以上に曲者なのが、世界最大のCO2排出国の中国だ。12年前の京都議定書の時と比較にならない経済力と政治的影響力を得た同国の存在感は不気味どころではない。閣僚級会談が2日間に亘って空転した背後には中国がいると見られる。事実、途上国の温室効果ガス排出削減の取り組みに対する外部の「検証」最も反対したの他ならぬ中国だ。二大経済大国、CO2排出NO1とNO2が新協定締結のブレーキ役を果たしたわけだ。中国は経済大国は発展途上国か? ご都合主義の偽装が目につく。
化学物質よる環境汚染を世界で始めて告発した“Silent Spring”のRachel Carson女史が他界して45年になる。いま一度、同女史の次のような遺訓を想起べきだ。そのなかで、迫りくる地球温暖化の危機に対し、傲慢かつ楽観視することなく、謙虚に誠実に共同歩調をとり、速やかな具体策の実行が求められよう。

「地球は生命の糸で編み上げられた生命のレースで覆われており、人間はその編み目の1つである」
“人間は科学技術という強大な力をもって、生命のレースに綻びをつくり続けてきた”(上遠恵子氏)
「地球は人間だけのものではない。人間の快適さを求めるあまり、他の生きものに負担をかけてよいのか。他の生物を痛みつけることは、つまり人間が自分自身を攻撃し、自分自身を危険にさらすことになる」
そして、R. Carsonは最後の著書“Sense of Wonder”の中で、「環境の汚染と破壊、心の荒廃へと突き進む力にブレーキをかけるのは生命と自然への感性である」と優しくも説得力のある言葉で語りかけいる。
COP15の首脳級会議で声高に“協定締結”にブレーキをかけた御大たち、ブレーキのかけどころがあべこべだ。アクセルと間違えているのではないか。