敬愛しあう朋と友

芥川竜之介書簡集」(岩波文庫)と併せて1953年再版の古書:恒藤恭「舊友芥川龍之介」(河出書房)を再読している。
昨年春、山梨県立文学館で「芥川龍之介の手紙---敬愛する友恒藤恭へ」が企画・開催された。
恒藤恭、旧姓、井川恭は芥川にとって一高生活以来の親友であり、自身が昭和2年の夏、36才で自死するまでの18年間の長きに亘り肝胆相照らす知友であった。「芥川は井川に接して人間的なものを学んだといえるかもしれない。友人としてのつきあいというよりは、師と弟子の間柄だと語る。そこに彼の内省と自覚がみてとれるのである」とK.M氏は述べている。

芥川が井川に寄せた腹蔵なき便り、思いの丈を吐露した手紙は多い。
芥川が服毒死した四日後の7月28日の午前、遺族、親戚、若干の友人とともに日暮里の火葬場にゆき、芥川の遺骨を壺に拾った井川が記している---
「・・はじめに一同が焼香した後、係りの人たちが鉄扉を開いて罐の中から取り出した白骨を皆の眼の前に置いたとき、『きれいに焼けて居るな』と思った。それは清浄なるものの一と塊であった。『この白骨を芥川に見せてやりたいものだな』、次の瞬間そんな事を考へてゐた。そしたら『ああ身が軽くなっちゃった、うれしいぜ』と言ふだらうとおもった。
『もうこれで此世に於ける君の存在は完全に終了した。安心して呉れたまへ。しかしね、残った者はさびしくて堪らないぜ』。斯んなことを一言彼に告げたくも思った」
そして井川(恒藤)恭は「舊友芥川龍之介」の書中、≪おもひ出≫と題する詩を綴っている。
  ほのかなる思ひ出あり
  あざやかなる思ひ出あり
  いきどほろしき思ひ出あり
  いともかなしきおもひ出あり
  
  今なほ胸ふくらむごとき
  おもひ出あり
  思ひ出づるもはずかしき
  おもひであり

  おもひでこそは
  いとほしく
  はかなきものか

  来る日も来る日も
  わづらはしき世の努めに
  あわただしくも
  過ごしつつ
 
  時ありて
  おもひ出の網だぐりよせ
  忘却の海に
  立ち向かひつつ

  寄せてはかへすしら浪の
  しぶきの中に
  すなどる人の
  わがすがたかも

芥川への追憶だろうか。
余談だが、芥川は三男を也寸志と命名している。言うまでもなく、井川(恒藤)の名、恭(やすし)に因んだものである。
真の朋友とはかくあるべきか。