お辞儀も会釈も握手もしない無機質の若者たち

先月半ば来日したPresident Obamaの共同記者会見やSpeech in Tokyoでの礼儀作法には敬服した。
一人ひとりに握手しながら頭を下げる。軽くお辞儀しながら握手する。天皇に深々とお辞儀をする。まさに日米の文化を融合した自然な作法だ。

保守系メディアは「まるで謝罪ツアーだ」とObama氏の所作をこき下ろしたという。批判するほうがおかしい。A紙今夕刊≪窓≫のコラムにもあるとおり、この作法はObama氏の資質の表れであり、ハワイとインドネシアで少年時代を過ごした彼にとっては何ら抵抗感などなかったはずだ。むしろ、米国でminorityとして生きてきたPresident Obamaの「異文化への寛容」を読み取れ、学ぶところは多い。


もう60年代半ば来日した仏作家Jean-Paul Sartreが述べている。「日本人の会釈・お辞儀は自然の発露である。相手に何の見返りも求めない」
bow(会釈・お辞儀)は日本の優れた伝統的な日常文化だ。人間関係の潤滑油となり、良好なコミュニケーションを導く端緒となる。
このお辞儀文化が若者のあいだで衰退・消滅の危機にある。こちらから、朝夕の挨拶を交わそうとしても無表情で無反応な高校生が少なくない。お辞儀も会釈も握手も無縁な無機質な若者たち、家庭の躾の無さの影響もあろうが、国際社会で生きられるわけがない。赤ランプだ。