急ぎ足の旅--a lifetime experience--学ぶべきHearts and Minds

拙文のブログを一週間お留守。八日振りにrestartである。
久しく触れなかった私事を記す。
11月下旬の晩秋、思いがけなくNZに家族と出かけることになった。
35年に及ぶlongtime family friend(長年家族ぐるみでお付き合いしている親戚以上の親しい家族)が北島に住んでいる。Cambridgeのex-mayor、H氏の家族である。H氏は故人だが、今も最も敬愛する人物の一人である。H氏には7人の子供がいるが、ボクに限らず家族が最もお世話になり、親交を続けている長女(71才)がterminal cancerの宣告を受けたという知らせをほぼ一ヶ月前に受けた。このsad newsはボクたちにとって大変なショックだった。
とはいえ、すぐ現地に駆けつけるわけにもいかない。emailでお見舞いの気持ちを伝えるしかなった。
当人から返信が届いた。「家族にとって悲しいことだが、私たち家族は結束が固い。共に精一杯充実した余命を送りたい。ただ、気がかりなのは90才を超えた母親のことだ。目下とても元気で、寝食とも自分で自分の世話をし、丹精こめた花壇の手入れを楽しんでいる。でも、母もだんだん年老いてくる。代わりに誰かが世話をしてくれればいいが・・。」
これまで度々届いた彼女からのメールの結びは“Come back to NZ to stay with us”とか“See you soon again”だったが、今度ばかりは“Our love to you and your families”で終わっている。切なく痛切な内容だった。
この一文を読み、NZ留学中彼女にとりわけお世話になった長男が涙を浮かべて会いに行こうと切り出した。なんとも俄か支度の旅である。
かくして、17日急ぎ身内四人で現地に飛んだ。

翌18日、現地の人たちには大人気の東海岸の温暖な景勝地Taurangaに着く。末娘(とはいってももう60才前だが・・)が飛行場に迎えに来てくれていた。


“We are thrilled to see...”と、皆ワクワク気分だという。
19日午前、長女Sの家に赴く。ご亭主も大喜びで迎えてくれた。8月にterminal cancer、余命6ヶ月を宣告されたと、思い当たる原因や経緯を語る。が、暗さや表面的な悲哀は微塵も感じられない。
皆でlunchを食べ、思い出話しを歓談、約2時間のa short visitで終わった。
別れ際、彼女が告げた言葉は“Be brave”だった。自分に向けての決意であり、ボクたちに対する遺言のように聞こえた。≪ひるむな。負けるな≫。一層痛切に心に響く。
21日Taurangaをあとに、Hamiltonに一人住まいする母親に会いに立ち寄った。

元mayor夫人だけあって、90才になっても堂々たる貫禄は変わらない。
花壇が見事に手入れされている。手料理のランチやディザートのご馳走になり、good old daysを追憶、2時間足らずで別れた。彼女は別れ際“Remember her family and me”。永久の別れとならないように祈りながらAKLに向かった。
晩春から初夏に向かうはずの南半球NZは肌寒かった。

Swine Fluの脅威は去ったようだが、NZの雇用問題は想像以上に深刻だ。失業率は7%をこえ、地域によっては17%に達するという。

海外滞在中、得てして国際問題や世界の出来事に疎くなる。大いに助かったのはThe Gurdian WeeklyがChristchurchとAKL国際空港で手に入ったことである。

リベラルな論調で名の通ったThe Guardian。Global views on world eventsは一読に値する。