“足るを知る”とは?

いま、何故かAdam Smithが再評価されている。知る人ぞ知る、経済学の古典『国富論』(The Wealth of Nations)の著者、自由競争の提唱者だが、その本旨はどこにあったのか。

経済学者のM氏は「アダム・スミスの原点は道徳哲学にあった」と云う。
Adam Smithは1795年に著した『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)を原点として、そのなかの経済に関する部分として『国富論』を提示した。
道徳感情論』のなかで、Smithは“sympathy”なる言葉をしばしば使っている。その意味は≪同情≫とは異なり≪同感≫≪共感≫ である。彼の最も重視した概念の1つ。他人の目で自分をみつめ、感情や行為を類推・観察し、それが適当なものであるかどうかを判断する能力のことだ。この概念は、若者の教育、生徒指導を行ううえでの大きな指針ともなる。
「彼は、富や地位がその人に普遍的な幸福を与えるとは述べていない。むしろ、富と権力にあこがれるのは、道徳教育の腐敗だとさえ言っている」とM先生は指摘する。
つまり≪足るを知る≫である。そういえば、去年NHKが帯ドラマ化した藤沢周平の『風の果て』のサブタイトルは反義語≪尚、足るを知らず≫であった。

≪足るを知る≫とは老子の“たるをしるものはとむ”から来ているのか。
英訳も多様だが、“Content is the philosopher's stone, that turns all it touches into gold”なる哲学的英訳に出くわしたので記しておく。コンマのあとのthatが気になるが・・・。

「欲を出さないで自分の境遇に満足できる者は、たとえ貧しくとも、精神的に富んでいるということ」を意味する。類義語をひも解けば、“足ることを知れば福人/足るを知れば第一の富なり”となる。
ともあれ、余りにも哲学的、道徳的なニュアンスが強いが、社会秩序を導く人間の本性とはかくあるべきだろう。