“鉄幹なしに晶子なし”という

「与謝野源氏」を少しずつ読んでいる。
与謝野晶子全訳:源氏物語』の編者が述べている。
「難解な源氏物語をきわめて理解されやすい現代的な表現に変えた『与謝野源氏』の特色は、何よりもまず女性の心をもって女性の心を見いてることである。女性でなければとらえがたい繊細な女性の心が、晶子女史の香り高い麗筆を通して約千年の『時』を隔ててここによみがえった」

晶子を希代の女流歌人に創り上げた夫君である鉄幹の存在を我が恩師Y先生は次のように特筆している。
「『与謝野晶子』といふ名前が、日本近代の短歌史上最も重要であるのみならず、日本女性史においても特筆されるべき名前であることについては、何人も異論はあるまい。
しかし、あの婦人が与謝野鉄幹といふ歌人と結ばれなかつたとしたならば、その才能ははたしていかに発揮されたであらうか。少なくとも、あの婦人をしてあのやうな歌人たらしむるにあづかつて最も力のあつたものは、実に夫君鉄幹ではあるまいか。さうすると、鉄幹の歌自体はいかにもあれ、彼は『晶子』の『創作者』として不朽の功績を有し、また長く後世から感謝さるべき人なのであるまいか。いはんや、鉄幹自身、歌人として独自の境地を開拓し、新体を樹立させるにおいておや」
新体の短歌を創出した歌人鉄幹を森鴎外が高く評価している。
当時、坊間流布した言葉に「新しき短歌を作り、これを育てたるものは我なりと公言し得るもの独り与謝野寛あるのみ」というのがあるが、これは、鉄幹の歌集『相聞』の序において鴎外が「一体新派の歌と称してゐるものは誰が興して誰が育てたものであるか。此間に己だと答へることの出来る人は与謝野君を除けて外にはない」と記しているものに基づいたものである。

Y先生が諳んじている晶子の歌がある----
  ふるさとや霞のなかの岡崎は小家のつづきとなりにけるかな
この岡崎は遠州岡崎の町ではない。鉄幹自身『洛北岡崎に住みける冬』と題する一首がある。晶子が詠んだ岡崎は鉄幹とともに住んだことのある京都岡崎である。鉄幹に寄せる晶子の思慕の念が詠まれている。