清張、蘇る・・・・?

松本清張の生誕100年を記念して?「週刊 松本清張」が明後日刊行されるらしい。毎週火曜日発売だが、全13号で終刊。氏の作品を毎号一作取り上げ、取材メモや関係者の証言などから作品の世界を多角的に紹介。創刊号は名作『点と線』を取り上げるという。70年代から80年代にかけて清張作品を耽読したボクにとっては興味があるところだ。

ボクの読んだ清張モノは、遺作評伝となった『画像・森鴎外』で終わっている。氏が92年他界後、対談集などを少し読んだことはあるが、「昭和史発掘」に象徴される清張史観に対し、死後、方々から批判や否定的見解が出されているのが大いに気になっていた。
が、このところ、しばしばTVドラマ化されることもあり、清張モノが息を吹き返しているようだ。
ところで清張といえば、藤沢周平さんに似て、人生観や私小説が極めて少ないのが特徴だ。
55歳を過ぎて出された『半生の記』(新潮文庫)のあとがきに清張自ら次のように述べている。
「私は、自分のことは滅多に小説には書いていない。いわゆる私小説というのは私の体質には合わないのである。そういう素材は仮構の世界につくりかえる。そのほうが、自分の言いたいことや感情が強調されるように思える。それが小説の本道だという気がする。独自な私小説を否定するつもりはないが、自分の道とは違うと思っている。
それでも、私は私小説らしきものを二、三編くらいは書いている。が、結局は以上の考えを確認した結果になった。
しかし、自分がこれまで歩んできたあとをふり返ってみたい気もないではない。私も五十の半ばを越してしまった。会社でいえば、停年が来たあとだ。実際、社報などでみると、停年になった人たちが誌上で短い回顧を寄せている。私もそういうものを書いてみたい気が起こる。小説ではなく、自分に向ける挨拶という意味である」
“自分のこれま歩んできたあと”と云えば、≪松本清張--わが人生観--私のものの見方考え方≫(78年9月初版)は必読の価値がある。ボク自身、現職時代、その中の“人生の矜持”を引用して高校生に講話をしたものだ。

同書の解説のなかで、尾崎秀樹氏が記しているよう、清張の青春は“濁った暗い半生”だったかもしれないが、そこで培われたものは貴重だった。
同書の『学歴の克服』のなかで、資料カードの卒業学校名という欄に≪小学校卒≫と書き込むと、子どもたちがのぞきこんで暗い顔をするというくだりがある。そういうとき清張は、『人生には卒業学校欄というものはないのだよ』と諭したという。清張の生き方には、そうした学歴社会の在り方に対する厳しい批判を含んでいる。
また『実感的人生論』のなかで清張はつぎのように語っている。
「私の経験に普遍性があるかどうかも自信がない。しかし、自分の『人生論』に西洋のいろいろな本から文章を切り取ってならべる体のものも初めから書きたくない。そんなもは翻訳の人生論を一、二冊読めば結構だと思う。ここでは自分の体験を語りながら、私の考えている人生とは何かに触れてみたい」
この言葉でも明らかなように、清張は処世訓めいた人生論的叙述には批判的だった。
ボクにはふり返って人生論を語るほどの半生も見当たらない。いまは、“翻訳モノの人生論”を切り売りしないように戒めている段階だ。