いま尊敬される師が求められる

いま学校教育の場で、“尊敬する”“敬愛する”“私淑する”などという言葉を耳にするのはまれである。
現代の教育問題にも鋭い視点を向けて注目のU教授は「教育者に必要なのは1つだけでいい。『師を持っている』ということだけでいい」と良い教師の条件を語る。そのうえで「その師は別に直接に教えを受けた人である必要はない。書物を通じて得た師とか、あるいは何年か前に死んだ人で、人づてに聞いてこんな立派な先生がいるということを知ったというのだって、かまわない。『私淑する』というのは、どんな形でもできるんです。教育を再構築するというのは、この師弟関係の力動性、開放性を回復することから始めるしかない。・・」

このU教授の“教師論”にA氏が頷いて答える。
「私も基本的には師弟関係だと思っています。ビジネスでいい仕事をしたケースには師弟関係がたしかに多く見られるんです。優れたリーダーがいて、そのリーダーをみんなが尊敬して、求心力が生まれる。尊敬される師がいて、そこへみんなが集まって1つのチームになるというのが、日本的組織としてはたしかに一番効率が高い。・・個性と自我について云えば、私も自我を殺すことの不快と共同ですることの喜びを比べれば、共同で行動することの喜びが大きいと思います。日本的な経営には今の学校教育、師弟関係についてのお話と相い通じるものが多くあると思います」

そして次のU教授の指摘は傾聴すべきだろう。
「よく『うちの子どもは言葉づかいがよくない』とこぼす親がいますけれど、たいていの場合、そういうことを言う当の親がロクな言葉づかいをしていない。子どもが礼儀を知らないのは、子どもが礼儀正しい仕方で人と接する大人を身近に見たことがないからです。敬意とか配慮というものは、経験を通じてしか学習できない。敬意を向けられたこともないし、愛情を示されたこともない子どもが敬意や愛情を表現できるはずがない」
上記の≪親≫や≪大人≫は“教師”に置き換えることもできる。