-親が子供の心のうちの変化を見抜けない

親は、子どもを小さいときから見てきている。そしてわが子のことはわかっているという自信も持っている。ところが、子どもは中学の後半、特に高校生になると、サナギが蝶になるような大きな変化をしていく。親はその変化になかなか気づかず、子どもに対し以前と同じ見かたを持ち続けてしまう。そして、ある日、多くの子どもと親の間の突然の「トラブル」を通じて、親は子どもが見えなくなっていることに気づかされる。
『高校生いまを生きる』(小島昌夫:著)からの引用である。

さらに著者は続ける---

        • 高校生は自分の問題について、親も含めて、他人に助力を求めることをきらい、なんとか自分自身で解決しようとする。しかし、その努力は、社会的経験の乏しさと、社会的視野の狭さのため、成果につながることはまれである。

第二の誕生と呼ばれる高校生の時期は、親にとっても、子どもにとっても難しい時期である。親はいままでの子どものへの見方やかかわり方が通用しないことに気づかされるが、それに代わる新しいあり方を持てないままに、子どもにどう反応してよいのかとまどう。子どもは自らの力を頼んだものの、展望を開けず悩み苦しむ。
ある親は「高校生の子どもに、親ができることは、祈ることぐらい」といっていた。これは親と子との関係の一面をついているように思える。しかし、「祈る」だけの関係にとどまるのではなく、親は高校生の特徴を理解し、新しい親子の関係を築く努力を積極的にすすめることが求められるのではないだろうか。
高校生は心のうちに激しく厳しいものを秘めているが、それを容易に語らない。しかし一方では、自分の納得する人には、心のうちを語りたいという思いに駆られる。そして彼らは納得のできる人の一番に親を置く。新しい親子の関係を創りだそうとするとき、親はこの点をしっかりと踏まえておきたい-----

“高校生は心のうちに激しく厳しいものを秘めている”という指摘に覚醒させられる。苦悩するのは親だけではないはずだ。新たな親子関係の構築もそうだが、高校生の心のうちの変化を的確に捉えるには、教師にとっても経験主義と惰性に流されない日々新たな研鑽を求められている。