閑日月が短日を感じさせる

IOC総会でOlympic2016の招致に向けての最後のプレゼンテーションが行われている。明日未明開催地決定とか。Barack Obamaは淡々と短いスピーチ。Michelleさんに主役を譲っているようだ。
日本はPM Hatoyamaも現地入りし総力を結集している。PMは原稿に目を落としながら、Governor Ishiharaは原稿を持たず、日本のプレゼンターは全員英語で熱弁?をふるった。プレゼンテーション終了後、Mr Ishiharaが記者からのインタビューに答えている。「感動的だった」
IOC委員への売り込みの効果はと訊かれて“Only God know”ときた。それを云うなら“God knows”(神のみぞ知る)だ。
七年の後の五輪、若者や孫の世代の者たちは関心無しとは云えないだろうが、ボクなどには余り関心がない。
今日など秋の長雨の感ありだが、このごろ、いやに日が短くなったような気がする。

敬愛する作家、藤沢周平さんが『周平独言』の中で記している。

「俳句の冬の季語に短日というのがあり、短日や不足をいへばきりもなき、などという久保田万太郎の俳句があるが、それではなく気持ちの中のことである。気味が悪いほど、あっというまに一日がおわる。
そう感じるのは、ひつとは年をとってきたからだと思う。子供のころ、若いころは、見るもの聞くものが新鮮な経験である。ひとつひとつの経験に、驚きとか余韻とかが残る。しかし年をとって来ると、大たいのものは見あき聞きあきて感動もヘチマもない。たまに新しい経験に出会っても、感動は短く、そしてすぐ忘れる。
こういう老いの兆候というものが、大前提としてあるのに加えて、もうひとつは生活がよくないのだと思う。ずーっと型にはまった単調な生活がつづいている。
それが自分で作った作業日程表といったもののせいだということは、大体わかっている。わかっているが、日程表を作ったのはわけのあることなので、そう簡単に捨てることも出来ないのである。・・」

ボクの場合、短日感を覚えるのは、仕事の日程表のせいではない。週数日の閑日月のせいだある。今日もそうだったが自ら閑日に済ませる怠惰な癖を直すしかない。いまさら矯正は難しいかろうが・・・。