芥川の“後世”のささやかな夢

1927年(昭和2年)7月24日、芥川龍之介は35歳で自死した。その3年前の1924年「澄江堂雑記」を刊行、その中で自らの≪後世≫なるものを次のように描いている。
『時時私は廿年の後、或いは五十年の後、或いは更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時の私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事だらう。いや、事によつたらどこかの図書館にたつた一冊残った儘、無残な紙魚の餌食となつて、文字さへ読めないやうに破れ果ててゐるかも知れない。しかし----私はしかしと思ふ。
しかし誰かが偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一編を、或いは其一編の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の良い望みを云へば、その一編なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか』

29年前に本郷の古本屋で手に入れた古書「文芸読本 芥川龍之介」第14版からの抜粋である。

龍之介のあの世でのささやかな希望というべきか。“虫の良い望み”どころか、いま芥川は“復活”し、その作品の今日的意義が再認識され、彼の“先見性”が見直されている。