Respect for the Aged Day(敬老の日)に想う

敬老の日」の英訳は難しい。適訳かどうかは定かではないが、手許の英字紙にそって“Respect for the Aged Day”と称することにする。

ところでこの≪敬老の日≫だが、制定当初9月15日だったものが、2003年から9月の第3月曜日に変更となった。それは良しとして、今日9/22日が何故休日なのかわからないので調べてみた。
アストロ・トピックスに説明されている。「9月22日は、前日の9月21日『敬老の日』および翌日の9月23日『秋分の日』が『国民の祝日』であるため、『休日』となります(『国民の祝日に関する法律』第3条第3項)。これは本条項が5月4日以外に適用される初のケースであり、平成15年より『敬老の日』が9月15日から第3月曜日に変更されたことで生じた休日です」とのこと。つまり、暦のめぐり合わせで9月にGolden Week Holidaysを授かったというわけだ。
さて、実父母・義父母とも鬼籍に入ってしまったボクには敬うべき親は亡し。まさに“親孝行したいときには親は無し”である。
ふと自分の歳を考えると、我が国の高齢化が急速に進んでいるのを実感する。女性の四人に1人、男性のほぼ五人に1人が65歳以上。これをWHOはElderly People(高齢者)と定義する。全国で2898万人、前年比80万人増、我が国人口の22.7%に達したという。
高齢者イコール老人ではない。心にしみる言葉をいくつか記しておこう。
「高齢者はますます増えてゆくが、残念ながら老人は減ってゆくだろう。だれでも老人になれるかというとそんなことはなくて、老人というものは、年を取ったあげくに到達できる1つの境地ではないか」
「自分の中の子供と自分の中の老人とが協力しあえば、自分の人生をおおうような仕事ができるようだ」(大江健三郎)
“生きることやうやく楽しき老の春”(数えで80歳のときの富安風生の句)

いずれもポジティブな言葉である。
最期が近づく病の床で芥川比呂志氏が妻瑠璃子さんに語っている。言葉が胸を打つ。
「なんとまあ遠くに来たことだろう! かつて私たちはごらん、あんなうしろの方にいたのだよ・・・と、お前に話しかける日がやがてくるだろう」