大変な意気込みのMr H Cabinet--対米関係見直しというが?

DPJ政権がキックオフ。Cabinetの新閣僚は興奮気味に入れ込みすぎていないか。生真面目外相は深夜に記者会見、“核持込の密約”を抉り出すと意気込む。対米追従の見直しは結構なことだが、その後に来るものは・・? 落としどころが難しい。
いま割りと売れっ子の社会学専門の評論家M氏が息巻く。
対米追従は、「いざとなったら米国に守ってもらうんだから」という≪専守防衛思想≫だ。そんな思想は小学校レベルの思考停止のなせる業だ。専守防衛思想は「軽武装×対米依存」の図式だ。「重武装×対米中立」に転換すべし。
えらい剣幕だ。謝罪外交だろうが土下座外交だろうが構わない。但し条件がある。「重武装×対米中立」化を図るための戦略として遂行すること。ここまで言うとキナ臭い。タカ派の抗戦組、昔の亡霊が喜ぶ論調だ。

M氏は独前大統領ヴァイツゼッカーを引き合いに出す。「ヴァイツゼッカーはこう言った。『過去』の罪は人それぞれ。だから政府が代表して謝罪することはない。でも反省しないのではない。反省を『未来』に関する意思表明につなげる。それが個人補償やナチ戦犯時効廃止などのドイツ人の行動だ。それより『未来』の信頼を勝ち得るのだと。
抽象度を上げれば、日独の違いを超えた戦略が見出せる。『未来』の構築に役立つのならば何でもやる。謝罪も『未来』の構築に役立つならOK。謝罪しなくても別のやり方が『未来』の構築に役立つならOK。『過去』が悪かったかどうかなんてどうでもいい。そうした考えが必要だ」

当のヴァイツゼッカー氏は自身の≪回想録≫の序文のなかでこう述べている。「・・われわれドイツ人にとって、21世紀に歩んでいくにあたって過去に目を開いておくことは、不可欠の条件です。自らの歴史と向き合う用意がないと、今日自分がなぜこの場に置かれているのかが理解できないでしょう。過去を否定すると、これを繰り返す危険を冒すことになります。
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日本の20世紀も苦難の歴史でした。この過去とどう向き合うかは日本の人々にとっても重大な挑戦です。そのための正しい道を見つけるのは、もっぱら日本人自身の問題です。過ぎた20世紀とどう向き合うかという日本の意思形成に介入することは、たとえ親しい間柄でも、外の人間にできることではありませんし、そんな資格もありません。そのうえ、どの民族もそれぞれにまったく独自の状況に置かれ、伝統を担っていて、これは他の民族と本当は比較できないものだということは、いつでも認識しておく必要があります」

謙虚かつ鋭く的確な指摘だ。我が国が見出すべき“正しい道”は『重装備×対米中立』なのか? 大いに疑問だ。いつか来た道に逆戻りしかねない。