“新たな現実を作ること”

旧東欧諸国の社会主義体制が次々と崩壊していった1990年から外交誌Foreign Affairsを購読し出した。同誌93年4月号にSamuel P. Huntington(サミュエル・ハンチントン)の論文“The Clash of Civilizations?”「文明の衝突?」が掲載され、衝撃を受けた。

我が国の月刊誌のなかで、ボクにとって最も信頼できるのは『世界』(岩波書店)だ。70年代初めから現在に至るまで、折に触れて購読する。
創刊は終戦の年、45年の12月20日。敗戦後間もない8月下旬、創業者岩波茂雄吉野源三郎に提案している。
「日本には高い文化がありながら、それだけでは祖国を亡ぶのを阻止できなかったのだ。これは、文化が大衆から離れたところにあって、大衆に影響力をもたず、軍部や右翼がかえって大衆をとらえていたからである。この過ちをもう、ふたたびくりかえしてはならない。こんどの経験を教訓にして、文化のアカデミックなわくから出て、もっと大衆と結びついた仕事をやる必要がある。大衆の文化を講談社ばかりにまかせておかないで、われわれのところでも、綜合雑誌にしろ、大衆雑誌にしろ、どんどん出版していこうではないか」

安部能成監修、吉野源三郎編集長のもとで世に出された『世界』。お世辞にも“大衆雑誌”とは称し難い。雑誌名の名づけ親は谷川徹三氏。創刊号の巻頭論文は安部能成氏の「剛健と真実と智慧とを」である。そのなかで同氏は次のように述べている。
「新たな現実を作ることである。平たくいえば、現下の日本がどうなるかというのではなく、それをどうするかが問題である。日本がどうあるかを見究め、これをどうにかせねばならぬ」
今の日本に、そして混迷する組織にも通じる言葉だ。
敗戦直後の知識人や学者のコメントもお粗末なものが少なくなかった。

渡辺一夫氏が『敗戦日記』9月5日のなかで書き留めている。
  十時、外国文学科の会。集まる程のこともなし。
  「外国を知らぬから負けたんだ」と諸教授申される。
  「外国を知らぬからこんな馬鹿な戦争を始めたのだ」
  と訂正すべきものであろう。
その渡辺一夫先生が“我意を得たり”と思ったのは9月4日附「読売新聞」の次の社説である。表題は“日本人の適応能力”---
「感じて淋しくなるのは、この大破局も案外国民の心に痕跡を残さずに、彼等が極めて器用にこれを通過して、簡単に適応を遂げてゐるといふ事実である」「併しこの大転回があまりに無反省に乗り切られ、右から左へ心の処理が行はれるのを悲しく思ふのだ。悲しいだけではない。それでは本当はいけないのである」「それも日本のインテリが戦ひとった自由ではなく、敗戦によって転がり込んだ自由だといふことを考へるべきではないか」
なるほど仰るとおりだが、当の我が国主要紙はどうだった? “適応能力”どころか、ジャーナリズムの体を成さない、体制追随と変節ぶりには唖然とさせられる。