軽薄さが危惧される

8/9の長崎の被爆を巡り、当時の米軍司令部に“なぜ二発も原爆を投下する必要があったのか?”と迫ったジャーナリストがいたが、米側は返答に窮していた。ボク自身は広島よりも長崎の原爆資料館を訪れたことのほうが多い。長崎には半分形がもがれた鳥居が惨劇の印をとどめている以外、広島の原爆ドームに類する廃墟の跡が残っていない。
爆心地となり廃墟となった浦上天主堂だが、平和祈念のシンボルとして保存しようという運動が行われたものの、1959年再建され、新装された。背景に米国St. Paul市から長崎市への姉妹都市の申し入れがあったというが・・。お蔭で“怒りのヒロシマ”に対し“祈りのナガサキ”というわけ? 爆心地の廃墟を完全に撤去するとは世界史上取り返しのつかない軽薄さだ。


軽薄と云えば明日の総選挙も危惧される。米紙CS MonitorのStaff Writer,Peter Fordは“Japan's opposition touts fresh faces in bid for election victory”のHeadlineで、DPJが政治素人の若い女性を候補者に押し立て政治音痴の選挙民の票を集めて勝利を目ざしていると揶揄している。
ところで、1945年、終戦敗戦の日々を綴った作家の日記を読む機会が多いが、その中で、Donald Keeneさんが言うとおり、“思わず引用したくなる素晴らしい一節に満ちている”日記は、渡辺一夫の「敗戦日記」だろう。

東京大空襲直後の3月12日の日記「もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう」
沖縄戦・・6月20日の日記「沖縄諸島における我軍の抵抗、依然続く。しかし遅かれ早かれ敗北するだろう。沖縄制圧後の米軍がどうでるか、我々はどうするか? 徹底的な爆撃、これに対して我々はやけくその抵抗。軍人どもは至誠の御稜威を勝手に利用し、我々を殺人と自滅に駆り立てている。僕は初めからこの戦争を否認しきた。こんなものは聖戦でもなければ正義の戦いでもない。我が帝国主義的資本主義のやってのけた大勝負に過ぎぬ。当然資本家はこれを是認し、無自覚な軍国主義者は何とか大義名分を見つけようとしたのだ」
そして64年前の今日、8月29日の日記が極めつ付きだ。
進駐軍の記事に、既に『ようこそ』といふような筆致が見える。軽薄だ。
○巴里を救ふために降伏したフランス。
○米兵1人救ふ為にローマは廃跡にしてもよいと言ったアメリカ。
○捕虜条約に加入せず、一億玉砕を説いた日本。
○英語の本も読めぬ学士、女学生、『だって役立たぬもの』、役に立つやうにすればよし、教養として洋書位読めばよろし」
これら、現下の社会にも通じる箴言ばかり。軽薄さ戒めるべしだ。

天気晴朗で日差しも強かった本日だが、午後・夕刻俄かに空がかき曇り帰路土砂降りに見舞われる。明日は何の日? 出来勝負には関心なしだ。