Obama Prague Speech:a neuclear-free worldは崇高な夢想に過ぎない・・?

昨6日の広島市長の核廃絶を世界に訴えた「平和宣言」の核心部はやはりObamajorityだった。

「世界の多数派である私たち自身を≪オバマジョリティ≫と呼び、力を合わせて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼びかけます」
この一節を英米主要紙はいずれもAP電で次のように伝えている。
“We refer to ourselves, the great global majority, as the 'Obamajority,'and we call on the rest of the world to join forces with us to eliminate all nuclear weapons by 2020.”
こだわるワケじゃないが、“廃絶する”にeliminate(除去する、排除する)を充てるかablolish(あるシステムを完全に廃止する、破壊する)にするか微妙なところだ。
余談だが、AP電の英訳に見られるwe call on the rest of the wold to join forces...。このなかのthe rest of the world(世界の他の国)を見逃すワケにはいかない。the restとは日本以外の国のことだが、我が国自体、“力を合わせ”ることができるの?
それはそれとして、確かに4/6のObama Prague Speech On A Nuclear-Free Worldは鮮烈だった。Obama氏の確固たる意志がにじみ出ていた。この歴史的宣言を世界の多くの国民・市民はいつまでも心に刻み、支持するだろうし、そうしなければならない。Obaminoityと考えたくない。世界の体勢はObamajoityに向かうだろう。
が、当の米国民の多くが日本への原爆投下について責任を感じているかといえば疑問だ。ロシア国民はどうだろう? 米国が核配備しているNATO加盟国も戸惑っている。日本の為政者の本音はどうか?
問題となるのは≪核の傘≫を肯定している点にある。現状ではまさにdouble-standard(二重基準)というべきであり、この矛盾から果たして脱却できるかだ。
Obama Prague Speechの翌日の4月7日、カタールの衛星TV、AljazeerはInside Storyのなかでいち早く次のように問いかけている。
“Is Obama realistic when he speaks of a planet that would never again live under the shadow of the mushroom cloud? Especially when his own country has a high number of nuclear weapons itself, and seems intent on deciding who should and should not have access to nuclear weapons?”
オバマ氏は、キノコ雲の影のもとで二度と生き残ることができない地球について言及したが、彼は果たして現実主義者なのだろうか? 特に問題すべきは自国米国自体が大量の核兵器を持ちながら、核兵器を持つべき国と持つべからざる国を選別するのに熱心に思えるからだ」
“Inside Story asks if Obama's aim of a nuclear-free world is an achievable objective, or just a lofty dream.”
「我々は問いたい。オバマ氏の目ざす核の無い世界とは達成可能な目標なのかそれとも単なる崇高な夢想なのか」
President Obamaに期待したいのは、至難のワザだが、米国(又は米露)による“率先垂範”だ。