被爆の夏は蘇り、時代と季節の線引きはできない

被爆の夏から64年。the world without nuclear weaponsをめざし、米国にmoral reponsibility to act(行動すべき道義的義務)があると宣言したObama Prague Speechに啓発され、広島市長の「平和宣言」は近年になく力強い内容のものとなった。
自らの造語Obamajority(多数の人々のオバマ支持)を織り込み、最後はYes We Canで締め括った。

原爆投下こそ歴史上最大の悲劇だと語る日本在住の米国生まれの詩人Arthur Binard氏。「8月8日あたりになると『立秋』の一線が横たわるが・・歳時記では同じ枠におさまらず、歴史の中ではどんな既成の悲劇も当てはまらず、人間の一生の中では、被爆が終わりのない影を落とす」「米国に生まれ育ったぼくは、繰り返しこんなふうに教え込まれた−−軍国ジャパンは最後まで戦う覚悟だったので、アメリカがもし通常兵器を使って上陸したならば、百万人の米兵が犠牲になつただろう。トルーマン大統領はやむを得ず、人命を重視し、二発の原爆の投下命令を出した。その定説にもティーンエージャーながらぼくは、ひとつの疑問を抱いていた。なぜ二発を落とす必要があったのか? 八月六日の後、1,2ヶ月返事を待ってもよかったんじゃないかと。来日してからも、疑問はずっとそこ止まりだったが、やがて戦後50周年が巡ってくると、米国情報公開法に基づいてさまざまな史料が明るみに出た。例えば、トルーマン大統領直筆の日記。1945年7月18日にこう書いている。『日本の天皇から平和を請う電報が』
実際はもっと早く、日本側から戦争終結を模索する動きがあった。トルーマンが、それを無視し原爆投下に踏み切ったのはソ連を脅かそうという狙いがあったからだと思う。
7月18日、8月6日、9日。季節の線をそこにいくつ引いても、残酷にすぎた時間の密度を表すことはできない。
ぼくらにできるのは、定説と真実との線引をはっきりさせることだ」(Arthur Binard: Everyday Emergency Exits「日々の非常口」より)

歴史とは? 次の『名言』は定説か真実か?
“Man is a history-making creature who can neither repeat his past nor leave it behind”「人類は過去を繰り返すことも、置き忘れることもできない歴史を作る生き物だ」(W.H.Auden)

History is no more than the portrayal pf crimes and misfortunes”「歴史は犯罪と不幸の肖像画でしかない」(Voltaire)
“There is nothing to be learned from history anymore. We're in science fiction now”「歴史から学ぶモノなどもはや何も無い。我々はいまではサイエンス・フィクションの世界にいるからだ」(Allen Ginsberg)

History is a nightmare from which I am trying to awake”「歴史とは、私が目を覚まそうともがいてる悪夢である」(James Joyce)