アジア民主主義の星(Icon of democracy), Cory逝く

1986年2月25日、富豪の家に生まれた敬虔なキリスト教徒の1主婦がアジア初の女性大統領に就任した。Coryの名で愛称されたCorazon Aquinoである。20年以上続いたPhilippineの独裁者、Ferdinand Marcosの圧制と腐敗を倒した。

発端は83年8月21日、米国亡命中のCoryの夫、Ninoy Aquino上院議員が帰国、マニラ国際空港に降り立つタラップで射殺された。この惨劇が世界のメディアを席巻した。
People Powerが蜂起し、軍部のトップRamos参謀総長が味方についた。Marcosの側近Laurel氏が寝返った。

マニラはイエローの大群衆で埋め尽くされた。Marcosは裸の王様となった。それまで、Marcos政権を認知してきた米国President Reaganも見放した。MarcosとImerdaそしてその家族は、屈辱と傷心のなかヘリで逃亡せざるを得なかった。


Cory Aquinoの6年の大統領在任期間、度々クーデターに見舞われ、政情不安ががつきまとい、さしたる政策も打ち出せず、同国経済も疲弊した。国のトップリーダーとしての彼女の手腕については評価は必ずしも高くない。が、Coryの存在と彼女を大統領に押し上げたPeople Powerなくしては、Marcos独裁政権の打倒はなかった。圧倒的国民による“無血市民革命“が、圧制に苦しむ人々に希望を与え、その後のアジアの他国や東欧の民主化・自由化につながったことは確かだ。
いまPhilipineは閉塞感が漂い、現アロヨ政権打倒の声が高まっているが、Coryに代わる新たなリーダーは容易に現れない。
Coryは語っている。「改革の絶好機を逃したと批判する人には、私と夫なくしてこの国に民主主義が回復したかと問い返したい。人それぞれに歴史的な役割があり、私の役目は民主主義を取り戻すことだった」


微笑む上のphotoは昨年撮影されたCory最後の遺影である。黄色のシンボル・カラーの衣装が眩く懐かしい。(The Independent-Sunday, Aug.2, 2009より転載)
彼女は、自らの“歴史的役割”終え、晩年は私人として家庭人として1人の母に戻り、昨日1日、静かに逝った。
国葬を求める声もあるが、息子や家族、Aquino家では静かなdomestic & private funeralを望んでいるという。その方がCoryにとってふさわしいかもしれない。