智謀・勇猛の兼続、「・でござります」の心底にcan-do spiritを秘めていたはず

長年、藤沢周平の時代モノを愛読してきたが、初期に一挙に読み終えた作品の一つが「密謀」だ。主人公はいまNHK大河ドラマ天地人』の主人公直江兼続。主君上杉景勝を支える智将・勇将である。
周平さんの「密謀」に見られるとおり、『天地人』でも智謀の将、主君に進言・報告する際、語尾を「・・でござります」で締め括ることが多い。例えば、≪「大坂と家康は、どうにか和議がととのいそうな形勢にござります≫とか≪信長が残した兵力を以って織田の家系を討つ。なかなか破格の策を、いともやすやすと運ぶところが、大坂の身上でござりますな≫といった具合である。
周平さん自身、“ござります”という言葉が好きだと語ったことがあるというが、「密謀」の解説の部分で常盤新平さんが論評しているとおり、周平さんの使う“ござります”の語感は心地よい。

 が、この兼続、大坂(秀吉)の遺制を次々と破って我が物顔の家康に対抗するため、肝胆相照らす石田三成と、徳川方を東西挟撃の罠に引き込む密約を交わした。なのに、実際に三成が挙兵し、世をあげて関が原決戦へと突入してゆく過程で、上杉勢は遂に参戦しなかった。なぜなのか−−。
兼続の心底を貫いてたはずのcan-do spirit(成せば成るの精神)は消えうせたのか? それとも・・。