Barack Obamaの21時間のガーナ訪問に沸く西アフリカだが・・

夜10時半頃帰宅。BS2「日めくりタイムとラベル」で昭和50年(1975年)を特集していた。この年は、さほどパッとしない年だと言われるが、ボクにとっては広島カープの初優勝、“赤ヘル”なる言葉が登場し沸きに沸いた年として忘れられない。
この年の11月、第一回サミットが仏ランブイエ(Rambouillet)で開催された。米Ford大統領やキッシンジャー国務長官の顔が見える。日本からは三木首相と大平外相が出席していた。当時はアフリカなど発展途上国や飢餓にあえぐ国のことなど各国首脳の念頭になかっただろう。
それから34年後の今回のG8。政治ショーと揶揄される短期日の会議を終え、President Obamaはアフリカを訪れた。訪問先は最も優れた民主国家と自ら讃えるガーナ(Ghana)。

Barack Omamaはスピーチのなかで“Africa not separate from world affiars”とアフリカ問題重視の姿勢を示しながらも、飢餓・貧困・疫病などに苦しむアフリカの現実に眼をそむけることなく、そのトーンは厳しいものだった。
わずか21時間の滞在だった。ガーナ政府や国民は歓迎ムードに溢れていたが、お祭り騒ぎでははなかった。
ゴム草履をはき、色褪せた古いTシャツと破れたズボン姿の青年は、アフリカの抱える絶望的で打ちひしがれた貧困の現状を物語るものがある。
「我々はObamaが好きだ。彼は我々に希望をもたらしてくれた。しかし、我々に必要なものは就職、若者にとっての仕事口だ。たしかに、学校に通えるようになったのは有難いが、その先に仕事がない」
青年の語るアフリカの窮状に照らせば、G8の声明はだけではグローバルな難題は片付くわけがない。