自分のことを、“僕(ボク)“と呼ぶ人々の語りはいい。

折に触れボク自身、喝采を送っている80歳をはるかに超えた名優がいる。森光子さんと三国連太郎さんだ。
『釣りバカ・・』を撮り終えた三国さんが今夜のTVで語っていた。もう86歳の老優だ。否、森光子さんにもいえるだろうが、老優などと呼ぶと叱られそうだ。
三国さんが静かに、毅然とした口調で「ボクは能力の衰えも情熱で乗り越えてゆくつもりです」と述べる心意気には衰えなど微塵も感じられない。それよりも私(わたくし/わたし)と言わずに一貫して“ボク”と自称する語り口が爽快だ。

僕も10代後半の若者や家族や職場の人たちと喋るとき自然と“ボク”という言い方が口をついて出る。この癖は直らない。
芥川龍之介も、自分のことを語るときIを“僕”と称した。例えばこうだ。
『両国の鉄橋は震災前と変わらないといつて差支へない。唯鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変わつてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起こつてこなゐ。僕の昔の両国橋に−−狭い木造の両国橋にいまだに愛情を感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかかつてゐた。・・・』(龍之介片々−本所両国1927.7.5より抜粋)

知る人ぞ知る「或る阿呆の一生」のなかで『人生は一行のボードレールにも若(し)かない』と20歳のとき述懐し、1927年(昭和2年)35歳で自死した芥川について中村真一郎氏が“ぼく”(の人生)について語っている。
「ぼくの信念からすれば、人生はぼくの前にあるものというより、ぼく自身の作り上げるものである。少なくとも、ぼく自身を中心としてパースペクティブを拡げているものである。換言すれば、ぼくの人生とは、ぼくの可能性の意識的な実現である。ある理想的目標への計画的な接近である。人生の歩みは、散歩よりも登山に近い」
芥川の人生と照射し、“ぼくの人生”を作り上げようする同氏に敬服しながらも、いささか自嘲気味だが、ボクは歩き不足で登山など縁遠いから困ったものだ。