原稿なしの挨拶で大丈夫?

一昔前になるが、幼稚園の卒園式に招かれ、予告なしに司会者から突然祝辞を指名されてびっくり。園長さんに「それはないでしょう」と腹を立てたがあとの祭り。ぶっつけ本番で、演壇の前に立ったものの前にいるのは6才の幼児たちだ。自分でも何を喋ったか思い出せない。2分程度の「おめでとう」。まさに“縮辞”(祝辞)で終わった。おそまつでした。
井上ひさし氏をして『挨拶まで文学にしてしまわれた』と驚嘆せしめた丸谷才一氏が「なぜ挨拶の原稿を書くのか」と問われて『失言しないためまず原稿を書く』と答える。そのうえで『原稿を読むのを嫌がる人がたまにいる。みっともないとかなんだとか言って嫌がる。それが少し耳に入ってきたりなんかすることもあったので、原稿なしでやったこともあった。・・・いい加減にしか準備しないでやったこともあるんです。ボクの体験ではやっぱりだめですね。原稿なしでやるとなると、今度は頭の中で完全原稿をつくらなきゃだめです。字を書かないで完全原稿をつくるよりは、字を書いて完全原稿をつくるほうが僕にはらくなんですよ』『字を書いて完全原稿をつくれば、困ったら、ちらっと見ればいいと思うようになったんです。ただし、本当は、完全原稿をつくって、それをきちんと暗誦して、何度も何度もやって、手には持っていてもいいから、見ないでやると、もっといいんでしょうけどね、専門が挨拶というわけじゃないから、勘弁してもらって』--≪挨拶はたいへんだ≫(朝日新聞社)より---

スピーチが仕事の一つだった我が身だ。今後も挨拶の機会は免れそうもない。“完全原稿をつくってきちん暗誦”とまではいかないが、原稿無しのスピーチの危なさは身にしみてわかる。